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本当の自分を、見つけるたったひとつの方法

本当の自分を探している人は多い。 きっと、ほとんどの人間はそうだろう。 ただ、中には、本当の自分を知っている人も多い。 今大活躍の、あのスポーツ選手とか、 はたまた変なメガネをしている賢い人とか、 そして今は亡き天才。 どの人も、すごい成果を出しているが、 彼らの成果の所以は、能力の高さから来るものではないと分かる。 彼らは、自分、それも本当の自分を知っているからこそ、 ああなれたのだと思う。 もちろん、彼らが自分と向き合えたのは、すごい成果があるからこそで、 そこからくる

    • なりたい自分と、本当の自分

      変わりたいと言う時、前者のなりたい自分になりたいという人がいると思う。 例えば、お金持ちだったり、モテるとか、社長とか、まあ色々あると思うんだ。きっと、ほとんどの人は、そんなふうに、何か目標を決めて、 そしてそれに向かって進むことで人生を歩んだつもりになっている。 でも、歩んだつもりだと思うんだ。 夢に向かって、目標に向かって進んでいる現在は、 ただの途中で、そこに幸福感はなくて、ならなければならないという切迫感だけがあるんじゃないかな。だから、現在の人間は、ほとんどの人が

      • いかにして、真実に向き合うの、

        真実に向き合うのは、とても苦しい作業だ。 人によっては、親に愛されてこなかったこと、 もしくは人に嫌われるような特徴を、、、、 受け入れなければならないのかもしれない。 そんなことしなくても、生きていけると言う人もいるだろうけど、 ほんとうにそうだろうか? 自分の中の、苦しいけれども、現実に存在している問題を、 見ないようにして、それは生きていると言えるのだろうか。 だって、その事実は見ないようにしても、変わらないものだ。 どれだけ悲惨で、苦しく、そして重い現実でも、それ

        • 欲しかったものは、

          ずっと欲しかったのは、愛だったのだなあと実感する。 愛とは、無条件の承認だ。 いや、承認でさえ無いのかもしれない。 承認されるから、存在して良いだなんて、何かがおかしい。 承認関係なく、ただありのままにあるのが、愛なのかもしれない。 良いから、存在して良いし、悪いから存在してはいけないは、 愛ではなくて、ただの判断だ。 その判断の、判定条件は恣意的だし、絶対的なものではない。 でも愛は、絶対的なもので、時代や世界や、この宇宙ではなくても、 ずっと変わらない何かだと思う。 そ

          愛する、とか、そういうことを。

          人を、愛するときに、どのようなことを言うのだろうか。 例えば、君は、〇〇だから愛する。 この、〇〇には、何かが入るのかもしれない。 例えば、かっこいいとか綺麗だとかスタイルがいいだとかいう容姿についてのもの。また、賢いとか勉強ができるとか、スポートができるとか、能力についてのもの。はたまたお金を持っているとか家柄がいいとか、そう言う奴もあるかもしれない。 でも、それって、愛していると言えるのだろうか。 いや、愛はしているかもしれないけど、それを持っている人を愛しているとは言

          愛する、とか、そういうことを。

          subete,umarede,kimarunara

          全てが、生まれで決まるのなら、 生育過程、生まれ持ったもの、遺伝、なんであれ、与えられたもの、 そして今から変えられないもので決まるのなら、 生きている意味はあるのだろうか。 もちろん、楽しい生活なら、アリかもしれない。 ただ、そうじゃない。 辛い、苦しい、悲しい生活なら、どうだろうか。 それはもう決定されていて、未来がどうなるかもわかっていて、 「はい、絶望です。」みたいな状況にあったとして、それでも人は生きられるのだろうか。 まあ、きっと無理だろう。きっと自殺する人の心

          subete,umarede,kimarunara

          自信とは、根拠がないものだ。

          自信とは、本来、根拠のないもので、 世の中でいう根拠のない自信というのが、元々のものだ。 なぜなら、自信というのは、自分を信じるということ、 そして信じるというのは、根拠がないからこそ、信じるのだ。 根拠があるものは、信じるのではなくて、ただの事実だ。 事実は、信じようと信じまいとに関わらず、変わるものではない。 だから、自信を持っていようと、持っていまいと、関係がないものだということだ。

          自信とは、根拠がないものだ。

          生まれてきたことが間違いだったということ、でも。

          僕が、幼少期からずっと、親にいじめられてきたのは、 ある条件を満たすことができないからだ、と言われた。 しかし、その条件は、子供の自分には満たせないものだし、 大抵の子供には満たせないものだ。 だから、逆で、とにかくいじめたいが先にあって、 その後付けとして、その理由を見出したのだろう。 だとしたら、僕はいじめられる運命にあったし、それはある意味では生まれてきたことが間違いだったと言えるのだろう。 この家庭において、そしてあの親にとっては、僕は生まれてきてはいけない存在で、

          生まれてきたことが間違いだったということ、でも。

          親に、愛されるという価値と、相対的価値

          価値観を、自分で決めないといけない。 親に愛されるためなら、子供はなんでもしてしまう生き物だ。 悲しいことに、命さえも、捨ててしまう。 本当に、死んでしまう場合もあれば、魂、心を殺すこともある。 やっぱり愛がないと、人生はとても厳しいし、愛されなかったことに向き合うもすごく苦しい。 だったら、自分が自分を愛するしかないよね。 親は、親だったけど、子供であるあなたを愛せなかった!ひどい!!!でも、あなたも自分を愛していないよねっていう議論になる。 それが、自分は親に愛されな

          親に、愛されるという価値と、相対的価値

          人生を復帰する、

          僕の父親も、めちゃお酒飲む人だったけど、怖かったなあ。 それが嫌で嫌で、僕はお酒を飲まない人になった。まあたまに飲むんだけれど、 それでも自制できる範囲、1杯2杯とかよっわいお酒しか飲めない。 それくらい、父親への嫌悪感が強かったなあ。 1年ちょっと付き合った彼女がいたけど、その人とも一回くらいしか一緒にお酒飲まなかった。 お酒以外にも、たくさん人生を制限されてきたなあって思う。 僕も、頭の中に、否定的な声が常に響いていた。 何かをミスすれば、嫌になるくらい自分

          人生を復帰する、

          壊れたラジオな毒親

          毒親ってのは、壊れたラジオだ。 ラジオってのは、当然、壊れていてほしいものではない。 壊れたラジオってのは、勝手に音が鳴るし、不快な音が鳴るし、 必要ではないタイミングで鳴るし、音が勝手に大きくなるし、音量の調節ができない。 そして、毒親ってのは、そのまま壊れたラジオなんだ。 言ってほしくない事を、言ってほしくない時に、大音量で言ったり、 言ってほしいことを言ってくれないこともある。 人間、完璧ではないことは、もちろん承知している。当然だ。 ただ、完璧じゃない親が、子供

          壊れたラジオな毒親

          自分を恥じていた。

          ずっと、自分の存在を恥じていた。 存在してはいけない者なのだと思っていたけど、 その謎が最近解けた。 ずっと親にそういう風に思い込まされてきた。 やることなすことを否定されてきたし、嫌ということを許されなかったし、 大切に扱われた来なかった。そしてそれを悲しいと思ったけれど、そういう扱いを受けて当然の存在なのだと、その親の酷い扱いを正当化して、自分を傷つけてきた。自分はダメだから仕方ないって。 でも、今はそう思わない。 能力が低いとか〇〇がダメみたいなのは、家族という組織

          自分を恥じていた。

          トラウマを、語ること。

          トラウマを語るのは辛いものだ。 しかし、語ることで、癒される。 それはなぜかというと、語るときに、そのトラウマから距離を置けるからだ。離れるから辛い感情ではなく、出来事に集中できる。 で、それの何が良いかというと、その出来事から意味を抽出できるようになるからだ。 辛い感情にフォーカスすると、それに囚われ、語る視点ではなくて、その最中にいるような感覚になる。しかし、語り、人に伝えるということは、客観的な視点で物事を説明しなくてはいけない。 客観的に見るから、物事を整理できる

          トラウマを、語ること。

          自分自身になるということ。

          にんげん、自分自身になれたら、 きっと世界で苦しむことは無くなると思うんだ。 逆に、自分自身ではないからこそ、人は苦しい、そして人生も苦しく感じる。 では、自分自身であるとはどういうことだろう。 このために、逆を見てみたい、 自分自身ではないということは、どういうことか、と。 高級バッグをたくさん持って、顔を整形して、学歴詐称、カンニングして良い点をとったり、詐欺で儲けたりすること。高いご飯をたくさん食べて、かっこいい周囲からも憧れられるような恋人を持つこと。 まあなんで

          自分自身になるということ。

          自分自身であることに、満足すること。

          あなたは、自分自身に満足しているだろうか。 きっとそうではないと思う。 人類のほとんどが、満足できない自分に向き合うことを避けるために、 いろんな行動をする。でも、結局、ずっと一緒にいる自分に不満を感じていれば、何をしようと満足なんてできるはずがない。 逆を言おう、自分に満足できれば、どの瞬間、瞬間においても、満足しかない。 じゃあ、どうすれば、自分に満足して、自分自身でいられるのか。 それは、やっぱり自分に向き合うしかない。 ずっと、一緒にいるが故に、自分がそこにいる

          自分自身であることに、満足すること。

          理不尽で、人は壊れる

          理不尽を食らうと、人は壊れる。 前提として、理不尽を操る主、加害者は相手を選んで、理不尽を与える。 弱い人、言い返さない人、安心感のない人、まあ仕返しされる可能性のない人を狙って、理不尽を与える。そして人が苦しんでいるのをみて、自分が神になったかのように感じて、満足する。 そもそも、大前提として、そんなふうに歪んだコントロール感で、満足するような人間が100悪いし、狂ってる。でも、世の中、狂っても仕方がないように思う。その、狂ってる人も、きっとどこかで理不尽を喰らって来て、

          理不尽で、人は壊れる