親に、愛されるという価値と、相対的価値
価値観を、自分で決めないといけない。
親に愛されるためなら、子供はなんでもしてしまう生き物だ。
悲しいことに、命さえも、捨ててしまう。
本当に、死んでしまう場合もあれば、魂、心を殺すこともある。
やっぱり愛がないと、人生はとても厳しいし、愛されなかったことに向き合うもすごく苦しい。
だったら、自分が自分を愛するしかないよね。
親は、親だったけど、子供であるあなたを愛せなかった!ひどい!!!でも、あなたも自分を愛していないよねっていう議論になる。
それが、自分は親に愛されなかったから、自分も自分を愛せないんですってなる。でも、その連鎖を断ち切りたいよね。だって苦しいもんね!!!
じゃあ、まず何をするって、自分を受け入れるところだよね。
やっぱり、愛って、対象を丸っと受け入れるところから始まるって思うんだあ。
で、親の愛ってのは、その丸っと受け入れるための、補助程度のものでしかないと思うんだ。自転車でも、最初補助輪をつけて、サポートしてもらったりするよね。じゃないと、倒れて怪我したり、怖いもんね。
で、親に愛されないってのは、そういうことだと思う。残念な関係で自分を傷つけたり、人間を怖くなったり、引きこもったり、逆に奔放になったり。
それで、どれだけ苦しい思いをしても、自転車に乗ることを、人間同士愛し合うことから逃げるのは、人生の幅を縮めることになると思うんだ。
別に、自転車に乗れなくても、愛されなくてもいいしっていう人もいると思うけどさ。