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俺はいつまでもNo.2なのか?-韓国留学Day11

今年で24歳になった。

いままでの経験上だが、リーダー副リーダーや幹事などまとめ役や運営役に回ることが多い。

中高ではともに部活の副キャプテン、大学では200人規模の団体のリーダー10人のうち1人。

プライベートでも幹事や日程調整はほとんどしていて、全てを任せきりで参加するというのは片手で数えれる程度である。

みんなのまとめ役やリーダーシップがとてもあるように聞こえるがしかし、案外そうではないのかもしれないと思うことが多々あるのだ。

自分は、確かに責任感がある。

オフィシャルの会話もできるし、初見の人に対しても臆することなく会話することができると自負している。

しかし、圧倒的なカリスマ性があるかと言われればそんなことは全くない。

中学で副キャプテンを務めた時、キャプテンが離脱していた時期があり自分がキャプテン代理を務めていた。

もっと上手になりたい、試合でも勝てるチームにしたい。

その一心で、檄を飛ばすことが増え、チーム内の調和を取ることができていなかった。

これで結果を出せたならまあ、体育会系には厳しさが勝利につながるのかなと納得できたと思う。

でも実際は、強豪校相手に競り合ったものの敗北。

厳しい練習の結果負け、辛い練習を共に乗り越えたというよりは、辛い練習を与えたにもかかわらず勝たせることができなかったという苦い思い出に変わったのであった。

時はすぎて高校生。

自分の代になり、副キャプテンを務めることになったがここでも実力ではなく責任感や辛いときに頑張るハッスル精神が変われたものであった。

実際にスタメンでずっと試合に出てはいたが、正直実力は1番なかったのだと思う。

いつもキャプテンになるような人物に憧れていた。

実力で皆を引っ張り、説得力のある言葉をかけ、いなくてはならない存在。

常にここを目指して努力していたが、結局が誰よりもがんばるだけのハッスルボーイになっていた。

努力の過程ではなく、結果で評価されたかったのだ。

高校では、チームの実力が高く、自分は引っ張るというよりハッスルという点でチームに貢献し、結果は10数年ぶりの県大会出場。

チームの結果には満足しているが、スーパースターになれなかったことに悲しみながら高校生活を終えた。

大学生になり、親友とであった。

彼は、発言に芯があり皆の意見を取りまとめるのがうまい。

好きなものには、全力で周りを巻き込む力を持っている。

そんな彼と、多くの時間を共にし、いろいろな話を何度もいくつもの夜を過ごすうちに少しずつ気づいたことがあった。

彼の真似を少しずつすれば、望むリーダー像に近づくことができるのでは?

そう思った時から、少しずつ真似を始めた。

話し方やノンバーバルな動作、日々の行動。

そうして何年も経った今、いろんなロールモデルを真似することでオリジナルの自分を形成できるようになった。

真面目な話をする時はこの人、ふざける時はこの人というように場面によってその場面のスペシャリストを憑依させることで、望んだ姿を作り出すことができる。

しかし、なんともカリスマ性という点だけ足りていない。

この課題を解消するために、DJパーティではついに主宰として活動を始めた。

いまは3人のメンバーで行なっているのだが、正直言ってカリスマ性はまだ感じられていない。

自分がプランを説明して、右大臣がうまくまとめる。

まだまだじゃないか。

SNSを見ている時、ホリエモンさんが言っていたが、リーダーは全てできる天才かバカだけど情熱がある人の2つのタイプに分かれると。

後者は、情熱が強ければ強いほどそれを支える優秀な人物が現れるから、成功するのだとか。

まだ駆け出しリーダーである私のリーダーとしての器を判断するのは早い。

最低でも5回リーダーをやり遂げた後に判断しよう。

リーダーの資質というものを。

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