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私にとって適切な人との距離感とは④

前回の続き

 「私にとって適切な人との距離感とは」というタイトルの記事がいよいよ4つめになってしまいました。書き始めた頃は前半と後半で書き終わるつもりでいたのですが、書いている内に書きたいことが広がってしまい、このような結果となっています。今回で終わりにしたいですが、次が最後になるかもしれません。それでは、疑問②についての分析の途中から始めます。

疑問②-1:ひとりの時間とみんなとの時間の相違点

 ひとりの時間とみんなといる時間との相違点として、3つ挙げました。①会話をする必要の有無、②誰かへの気配りをする必要の有無、③行動制限の有無です。①から順に見ていきます。

 まずは、①会話をする必要の有無です。当然のことですが、みんなといると会話が発生します。雑談が苦手な私にとって、みんなとの会話が苦痛に感じる場面が結構あります。雑談は、話し手の自己開示がきっかけで始まることが多いと思いますが、自分の話をすることが苦手な私にとって雑談が大変な作業であることはご理解いただけるのではないかと思います。ひとりでいれば会話に参加しなきゃというプレッシャーもなく、自分の考えをまとめる時間も確保できます。私がひとりの時間を好む理由は、自己開示が苦手であることと、会話に参加しなければならないという使命感からの逃避にありそうです。

 続いては、②誰かへの気配りをする必要の有無です。ここで勘違いしてほしくないのは、私が気配りが嫌いだとか、気配りをしたくないとか、そういうことではないということです。一般的に、自分以外の他者に目を向けることは、気力や体力を使うものですし、親しい間柄の相手といるときでも、ある程度の気力や体力は消費します。一方、ひとりでいればその必要はないため、タスクややりたいことに割ける力の量が増加します。体力が少なく、回復に時間がかかる私にとって、ひとりの時間はエネルギーを温存することができるタイミングなのです。

 三つ目に、③行動制限の有無です。②に重なりますが、誰かと空間を共有するということは、配慮のある振る舞いが求められます。例えば、イヤフォンで耳を塞ぐことがためらわれたり、食感のある食べ物を控えたり、座り方に気をつけたりなど、ひとりで過ごすときには気にしない行動でも、遠慮が必要になってきます。自分が振る舞いたいようにできないことは、ストレスに直結します。自分のことを優先するためには、ひとりの時間が最適です。

疑問③:なぜ一定の距離を保つ必要があるのか

 最後の疑問点は、「なぜ一定の距離を保つ必要があるのか」です。これまでに述べてきたことのまとめになりますが、私が相手との距離を詰めない理由として大きく3つ、共有する時間が増えるにつれて見えてくる相手の悪い面に対して幻滅したくないこと、苦手な自己開示を伴う雑談の回避、外に向けるエネルギーの制限があげられました。

 誰かと仲良くしたいのに近づくことが怖いのを克服するためには、試行回数を増やすしかありません。そして、自分のネガティブな側面を受け入れるように、誰かの悪い面を見てもいったん受け止めることも有効な手法かもしれません。

 自己開示をしなくても雑談を楽しめるようにするためには、その時々の流行や余暇活動に関心を持ち、些細なことでも質問を投げかけることで、相手のことを知ることが楽しいという意識を持ち、自分の話も聞いてもらいたいと思えるように練習していくことが必要かもしれません。

 自分のエネルギーを最大限活かし、かつより良い人間関係を構築していくためには、自分のやりたいことや残りの体力を明確に把握し、無理にみんなと同じ時間と空間を共有しないことが最善策だと考えます。無理して楽しめないより、余裕を持って楽しめた方が良いですよね。

終わりに

 4回にわたって「私にとって適切な人との距離感とは」という問について考えてきました。正直なところ、4つ目の記事はやっつけ仕事のような雰囲気になってしまったなという気持ちがありますが、なんとか自分の言葉で分析できたので、大きな達成感があります。
 ここまで読んでくださった方、どれかひとつでも目を通してくださった方、どうもありがとうございました。スキをいただけたことも、最後まで書き終えるための励みになりました。ありがとうございます。

それではまたお会いしましょう。

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