私にとって適切な人との距離感とは②
前回の続き
前回は、私が人に対して嫌悪感を抱いてしまう理由に「蛙化現象」が当てはまるのか、というお話をしました。結論としては、好意を向けられたときに嫌悪感を感じるわけではなかったので、「蛙化現象」は当てはまらないことがわかりました。今回は、「愛着スタイル」に注目して分析してみます。
愛着スタイルで考える
みなさんは、愛着スタイル、というものを聞いたことがありますか。これは、生まれてから人と安心できる関係を構築していく場面に表れる、心理的な傾向のことだそうです。私自身はこの言葉を初めて知ったのですが、動画サイトでよく紹介されている恋愛タイプと似ているのかなと思います。あまり深く調べてみる、ということはしていないのでどんな型(タイプ)があるのかの説明は割愛しますが、気になった人は調べてみてください。
さっそく、私がどんな型なのか自己判断してみると、「回避型」が一番しっくりきました。「回避型」の特徴として、人との距離(物理的・心理的)を一定に保ったり、自己開示(感情表現)やそれに伴うコミュニケーションが苦手だったりする傾向があるそうです。過去の出来事に起因するトラウマや恐怖心から、争いごとを避けたり、束縛や拘束を嫌ったり、めんどくさがりやだったり、最初に提示したもの以外にもさまざまな傾向があるようです。
私が回避型に当てはまるのではないかと思ったのは、人と自分の間に一定の距離が必要であることと、束縛や拘束を良く思わないことがまさに私を表わしているからです。
前回の記事で、友達と一緒にいる時間が増えたことに対してめんどくさいと思ってしまった、と書きました。これは、束縛を嫌う傾向と合致しているように思えます。2年生の頃は確保できていた一人の時間が、3年生になって失われたことで、自分を拘束する友達に嫌悪感を抱いてしまったのかもしれません。加えて、友達以上の関係の人と心理的距離が縮まったことで、避けたくなった、ということも書きました。これは、誰かと一定の距離を保ちたいという傾向が現れているように思えます。相手との距離が急激に近くなったことで、自分の維持してきた空間を守ろうとする心理が働いたのかもしれません。
よって、私が人と仲良くしたいのにもかかわらず、親密になることをめんどくさがったり、一緒にいることを避けたりするのは、「回避型」という愛着スタイルの傾向を持っているからだと言えます。
解決策は過去にあり?
ここまで書き出してみて、なんとなく私が大切にしてきたことや行動様式がわかりましたが、いくつか疑問も出てきました。なぜ私は友達に拘束されることを避けたいと思っているのでしょうか。人と一緒にいる時間が増えると、私の中で何が起きるのでしょうか。さらに、なぜ一定の距離感を保つ必要があるのでしょうか。
これらの疑問についても検討していきたいところではあるのですが、今回も想定より長くなってしまったため、次回に続けたいと思います。前回と今回の二つの記事では、人間関係への苦手感の原因を明らかにできたと思います。次回は、今回の疑問をもとに、「私にとって適切な人との距離感とは」というタイトルに答えられるような、私なりの答えを見つけたいと思います。
次回に続く。