私にとって適切な人との距離感とは③
前回の続き
前回は、「愛着スタイル」に注目して、私が人との関係を構築することに対して嫌悪感を抱いてしまう理由として当てはまるのか、分析しました。結論として、私は「回避型」の傾向があり、拘束されることが苦手だったり、一定の距離を保つ必要がある特徴があることがわかりました。今回は、前回出てきた疑問を検討しつつ、私にとって適切な距離感とは何なのかを考えたいと思います。今回も長くなってしまったので、次回に続けたいと思います。
疑問①:なぜ友達に拘束されることを避けたいと思っているのか
最初の疑問は、「なぜ友達に拘束されることを避けたいと思っているのか」です。この疑問を考えるためには、過去の経験が必要です。友達という人間関係の中で経験した、とある出来事を振り返ってみます。
単刀直入に言うと、私は人を詳しく知ることに対して恐怖心を持っている可能性があります。というのも、幼少期に経験した、仲の良い友達グループの一人が、同じグループの二人に陰で悪口を言われている場面に遭遇するという出来事が、人と長く接することは、見たくないところまで見てしまうことだ、という認識をもつきっかけになったと考えることができるからです。
一般的に、人は同じ時間を共に過ごせば過ごすほど、相手のことを詳しく知ることができると言われています。つまり、一緒に居る時間が長くなるほど、良い面も悪い面も両方見えてくるということです。健全な人間関係の構築のためには、その人であると言うことを受け止めた上で、付き合い方を検討していくことが求められます。
よって、私が友達といる時間が苦痛になっている要因は、共有する時間が長期化することで、その人の悪い面を目の当たりにすることへの恐怖心であることがわかったかもしれません。
疑問②:人と共有する時間が増えると、私の中で何が起きるのか
続いての疑問は、「人と共有する時間が増えると、私の中で何が起きるのか」です。ひとりで行動することが多い私ですが、誰かと行動を共にするとき、私はどんなことを考えているのでしょうか。このことについて考えるためには、ひとりの時間とみんなとの時間を比較する必要がありそうです。
まず、私が大学構内にいる場合、ひとりでいる時間ができるのは、移動時間、空きコマ、講義後の時間があげられます。講義後の時間は、あえて一人でいられるようにその旨を伝えているので、誰かといることはほとんどありません。空きコマは、今年に入って誰かといることが増えましたが、昨年まではひとりの時間だったので、一人の時間に含めました。
そして、みんなとの時間ができるのは、主に講義中とお昼休憩です。先述しましたが、今年に入って移動時間と空きコマも友達といることが増えたので、みんなとの時間に入るでしょう。最近は参加できていませんが、サークルに参加すると、その時間もみんなとの時間になります。
ひとりの時間とみんなとの時間の相違点は、会話をする必要の有無、誰かへの気配りをする必要の有無、行動制限の有無が思い浮かびます。これらの視点についても検討していきたいところではあるのですが、今回も長くなってしまったため、次回に続けたいと思います。
私は最後まで書き切ることができるのでしょうか...…少し不安になってきました。この記事を見つけてくださった読者の皆さんには、最後までお付き合いいただきたいと思います。もし気が向いたら、ぜひコメントを残していってくださいね。
次回に続く。