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「人はなぜ走るのか?」という問いに対して僕なり言語化したこと

日頃からランニングをしたり、マラソン大会などに参加していると、「何が楽しくて走っているんですか?」という類の質問を受けたことが一度や二度はあるはずです。

答えは人それぞれあると思っていて、

・走った後のビールが最高に旨いから!
・走った後に得られる爽快感がたまらない!
・目標を達成した時の達成感をもう一度味わいたい!
・走っている時に見る景色が美しいから!
・仲間と一緒に頑張るのが楽しい!・・・・

などなど、人それぞれ走る理由があるのかもしれません。

私自身も過去に「山を走ってます」とか「長崎を173㎞走ります!」とか「砂漠を250㎞走ります!」と言うと、なぜそこまでして走りたいのか?

と聞かれることがあります。

こういった話をしていると、たまに「そっち系ですか!」と言われることもあります。

「そうなんですよ!」とは答えていますが、「そっち系」って何なんでしょうね 笑!

ちなみに、私は今でも走る事そのものは全く好きにはなれません・・・。

恐らく、何の目標も無い状態なら、走らなくなってしまうでしょう。

でも、何らかの目標を立てたら、走らざるを得ない。

「人はなぜ走るのか?」という問いに対して、色んな答え方があるのかもしれませんが、私は抽象度を上げて見ていくと、

「自分の見たことのない世界を見るため」

という答えに行き着くのではないか?と考えています。

ランニング歴やレベル・ステージを問わず。

見たことのない世界というのは、何も景色や風景だけに限った話ではありません。

例えば、フルマラソンを完走したことがない人であれば、まだ見たことのない「完走をした時の世界」を見るため。

ウルトラマラソンの場合も同様に、フルマラソンでは体験できない「100㎞完走した時の世界」を見るため。

自己記録を更新するために走っているという人は、例えばサブ4を達成するのが目標なら、まだ達成したことのない「サブ4を達成した先にある世界」を見るため。

そしたら次はサブ3.5へ!なのか、ウルトラマラソン完走!なのか、トレイルランニングをしてみたい!なのか、色んな方向性で進んでいくのかもしれません。

ですが、自分の見たことのない世界を見にいくために、次なる努力を続けていくわけです。

そういった「自分が見たことのない世界、経験したことのない世界」を感じることが走ることに対する原動力になっているのではないか?

私の場合は「自分が限界だと感じた先の世界を見たい」というのがモチベーションの1つなのかな?と思っています。

つまり、自分が思っている限界(可能性)の枠を広げたい。

だから、旅行に対するモチベーションはないのに、トレイルランニングで海外に行くことには結構積極的です。

ちょっと専門的な話をするのであれば、自分自身の生理的限界とそれ以上に心理的限界を越えたいということなのかなと。

人間の「限界」には2種類あって、その人の肉体が持つ100%のポテンシャル=生理的限界と、その人が発揮できる限界=心理的限界があります。

どういう事かというと、人間は100%のポテンシャル=生理的限界まで自分の身体を追い込むことはできません。絶対に。

なぜなら、生理的限界まで肉体を追い込むと身体が壊れてしまうため、心理的限界が無意識にブレーキをかけているわけです。

安全装置としての役割ですね。

基本的に人間のパフォーマンスのポテンシャルは生理的限界値が高い人=発揮するパフォーマンスが高い、となります。

ですが、実際に発揮されるパフォーマンスは心理的限界が大きく関係してきます。

仮に生理的限界が同じ人がいたとすると、パフォーマンスは心理的限界が高い人が勝つわけです。

分かりやすく言うのであれば、それだけ自分を追い込めるということ。

男子マラソンの川内選手が他の日本人ランナーより強い要因の1つは、生理的限界値と心理的限界値のギャップが少ないからだと思っています。

ゴール後に倒れ込むシーンを見てもらえると分かりますね。

自分自身の可能性の枠を広げることができれば、チャレンジできる幅が大きく広がっていき、結果として過去の自分では決して見ることのできなかった世界を自分の目で確かめることに繋がるのではないでしょうか?


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