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色を採集する旅

その地が育む色を、愛でる

南北に長い形状から日本というひとつの国の中だけでも、例えば神社仏閣のような場所で使われている赤の色に違いが生じている。

かと思えば同じものを見ているのに太陽を赤く描くことは、世界的な観点から日本は圧倒的少数派であったりもする。1993年の呉念眞の映画『多桑』の中では、幼い娘が青天白日旗の絵を描いていると、日本統治の時代に生を受けた父は「太陽が白いわけがない、赤に決まっている」と叱責する。それに対して娘が「父さんは漢奸なの?」と詰る描写には万感迫るものがあった。

沖縄とバリ島とバンコクという高頻度で旅した場所の風景の記憶を甦らせてみると、やはり色味だけでなく彩度にも明らかな違いが生じていることに気付いてから、風景や固有の意匠を見る目が変化した。

初めて旅した台北もやはり違う。赤という色に着目して街を経巡り歩くことを自分に課してみた。中国的な要素はやはり廟のような建物に顕著で、行天宮は英語名ならScarlet スカーレット、日本語の緋色に相当する色ながら若干黄色ころびに映る。

朝の光という条件で差異が生じているけれど、九份のランタンや看板の赤もやはり黄味がかった緋色。その黄味が植栽の緑と呼応して色相環において反対色である組み合わせなのに、ギラついた対比にならない。

台北の街中の迪化街の赤は若干黄味が抑えられていて、日本統治の名残りなのだろうかと沈思する。

室内にも緋色が活かされていて重厚な家具に乳白色の茶器が映える。永康街にある美意識の殿堂、“冶堂 イエタン”はさすがの色遣い。

初めての台湾から帰国後に余韻も冷めやらぬまま駆けつけた町田市立国際版画美術館が開催していた“ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅”展。

「故宮への入り口、北京」という作品では湿度の低い乾いた、もはや赤というよりも朱色。明らかに台湾の赤と違うのだ。

色に着目して旅をすることでその地が綿々と育んできた色は、まずは祈りを、大地を空気を植生を実りを、そして美意識を表すものだと実感した。

色を採集することで思考は深まり、旅の記憶は鮮やかさをいや増す。

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旅を中心に据えた生活で久しぶりの新規渡航先、台湾。ハマりそうであえて情報を遮断していたマイナス地点からの旅立ちを記録します。