主体性を持ってる・持ってないとかいう話より前に。(ゼミの見どころ)
こんにちは、三年生の新野です!
だんだん寒くなってきましたね…
皆さま、風邪をひかないように気をつけてくださいね!
さて、今日は久しぶりにゼミでの活動をご報告したくブログを書いております。
是非読んでください〜〜
問題の根幹が想像していないところから現れる話
さて、弊ゼミはホラクラシー組織として運営されておりまして、特に役職等がないフラットな組織でございます。
毎回のイベントだったり、各タームごとのファシリテーションは、"コアチーム"と呼ばれるような有志で集まってやるような流れになってます。
今回ゼミで困ったことは、
この"有志が集まらない"といった問題です。
この問題の原因って、皆さんなんだと思いますか??
例えば…
・他のイベントでコアをやったから今回はパスしたい…
・他のイベントもやってるので…
・私生活が忙しい…
などなどですかね。
僕も、ミーティング聞いていた時は、上のような理由だよなぁとか思っていたんです。
色々2時間くらいかけてこの問題について話し合ったりした結果、3人のメンバーが立候補してくれてコアチームができたのです。
そのコアチームの一人と雑談しているときにぽろっと出たのが、
「今度のゼミのファシリテーション、緊張しすぎてやばい…吐きそう」
と。
このぽろっとでた発言が、わりと僕の中で衝撃的だったというか、「ここで悩んでいるのか…」とふと気付かされたお話でした。
僕の立場からすると、ゼミの中で発言することって、そんなに重荷じゃないというか、大変なことではないんですよね。
ただ、全体の中で話すということは、人によっては大変難しいということです。(これはどっちの方が良いとか悪いとかそういう話ではないです)
主体性とかいうより前に
上の話から思うのは、「主体性がない」というところで人を括ってはいけないのではないか、というところです。
彼・彼女らが名乗り出にくいのは、「主体性」があるとかないとかの話ではなくて、単に場がそれを妨げているんですよね。
だとしたら、主体性がある・ないなんてところで他者を括っている限り、なんの解決にもならないというか、自分もすごい疲れてしまうんですよね…
下記の記事の通り、僕自身も去年「主体性を求める」とか、「みんなが助けてくれない」と、一人ずっと悩んでいたりしたのですが
問題は案外別のところにあって、まだまだやりようが僕の中にある、ということです。
この場合であれば、いかにコアチームの負担を自分が減らしてあげられるのかであって、全然やりようがあるんですよね。
(さらに言えば僕が、その全体の発言しにくい雰囲気を作ってしまっていたのではないか、という反省も大いにあります…)
これに気づくと、下手に人を敵とみなす必要がないというか、「この人は主体性がない人なんだ」とレッテルばりをする必要がなくなったりするんですよね。
そうしたら、メンタル的にすごい楽になります。笑
たった自分の人への解釈が変わるだけなんですけど、すごい救われるような気がするんですよね。
僕"たち"がこのゼミの2年間で学びつつあるのは、自分の所作振る舞いや言葉遣い1つで僕への読み解き方も大変(いい意味でも悪い意味でも)変わるし、
読み解き方をちょっと変えるだけで、今までの人への評価なんてすぐ変わるなぁということです。
さらに言えば、この「緊張する…」という発言が出ること自体が、良い関係性を作れているのではないかと、僕は少しほっこりしたりしました。
社会に出ても、この読み解き方が異なる故の対立はずっと続くだろうし、それを不断に乗り越える姿勢が大事なんだろうな…いい学びしてるな僕….(笑)としみじみと思いました。
今日はこれで終わり!!
読んでいただきありがとうございました😊
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