暇と自由とクリエイティビティ~編集後記の独立~
皆さんおはようございます。
三年の新野です!
今回は、以前大変(一部の方々に)人気のあった編集後記を、丸ごと一つの記事にしようかと思い、書いています。
(編集後記とは、各記事の最後に書いていた、ゼミの活動とは全く関係のない、新野・宮原の一意見・最近思っていることの掃き溜めです。笑)
今日のお題は「クリエイティビティ」についてです。
さあ行きましょう!
コロナがしたこと
最近、みなさんどのようにお過ごしですか?
大学生は学校が延期になり、ゼミ生としては概ねバイトがなくなったり、家に籠っている人が多いようです。
リモートワークが急激に叫ばれる一方で、外出制限の命令も出ていない(というか出せない)し、業種によってはリモートワーク自体ができないため、出勤している方も多いかと思っています。
しかし、飲み会の自粛や、休日の外出をやめた結果
やはり家にいる時間は概ね増えた人が多いのではないでしょうか。
友人だったり、ツイッターを見ていたりすると、ストレスが高まってきているような印象を受けます。
それはそうですよね、誰だって人と話すのは楽しいし、こんなに天気が良かったら何にもなく外出たいですよ。
新型コロナウイルスは、間接的に人を家に閉じ込めたような気がします。
そうなってくると、我々は急激に「暇」な時間を持つようになった気がします。
一方で、制約もありますね。
外出できるということは、何かを消費する(物の消費、事の消費あわせ)という観点では、無限大に選択肢があるような気がします。
つまり、我々は外出自粛によって、何かを消費すること自体が難しくなってきている気がします。
しかし、一歩立ち止まって考えると、これって悪いことなのかな?とも思いました。
「暇であると人は何かを生産する」
少し話は変わりますが、最近インスタやツイッターを見ていて思うのは、急激に、「何かを生み出す人」が増えてきたことです。
一番多いのは料理でしょうか
自分の母もすっごいパン焼くし、友人もすごいお菓子作りに力を入れ始めるし、なんなら僕もYouTubeみてちょっと洒落た料理も作れるようになったりしました。笑
一方で絵を描く人も増えます。僕も水彩画を始めたし、昔から絵が得意な友人はすっごいスピードで絵を描きまくっているし。笑
はたまた、文字を紡ぐ人もいます。僕も今現在進行形で文字を書いているし、小説にチャレンジしている人も出てきました。
これってなんでなんでしょうか?
すっごい疑問なのは、これだけYouTubeやNetflix、スマホゲームが普及してきた世の中で、なぜ消費ではなく生産する方向に人々が向かっているのか、という点です。
個人的な仮説にはなりますが、それは「消費する事には限界がある」ためではないでしょうか?
消費が生み出す楽しさは、自分の時間がないときには絶大な効果を持ちます。家でできる消費行動である動画の視聴や、ゲームをプレイすることは、ある程度時間というものが決まっていて、スキマ時間にて行えるためです。
一方で、これらの行動には明確に飽きがくる。好きなYouTuberがいたところで、何度も同じ動画を見続けることはできないし、一度クリアしたゲームを何度もプレイしようとは思わないでしょう(あくまで肯定的な意味としてのマニアではない人間の意見ではありますが)
すると、人はより生産することに回るような気がします。
ただ、この状態ではあくまでプロデューサーです。
では、何が人をクリエイティブにさせるのでしょうか?
クリエイティビティには制約が必要である
僕が好きな本に、「change by design デザイン思考が世界を変える」(ティム・ブラウン著/千葉敏生 訳 早川書房) という本があるのですが、その本の中に、
「クリエイティビティを生むためには制約が必要である」
という言説があります。その本では、IDEOや、Googleの例が挙げられていますが、事業開発に、明確なデッドライン(時間の制限)と禁止事項が含められているそうです。
制約があるからこそ、人は目的の解決のためにクリエイティビティを発揮させる
だそうです。
これって、今の状況にぴったりだな、と。
というのも、我々には、「場所・範囲の制限」がありますね。
この制限の中で、我々は目標である「充実」を済ませなければいけません。
つまり、消費の大半は棄却せざるを得ない、のではないかと思います。
そうすると、どうにかして『楽しく』しなければいけない。
その中で磨かれるのがクリエイティビティです。
子供の時なんて、まさにその塊じゃないですか?
お金もないし、あるのは友人と場所と自然のものと脇に捨てられたゴミ
その中で、我々はクリエイティブになり、自分たちなりの遊びを作らなければいけない。
その状況下と、今の我々は似ているような気がします。
おそらくこの外出自粛は当分終わらないでしょう(1.2年単位で。残念ながら僕の留学もあやしいなぁ)
その中で、今は我々の大半はプロデューサーに顕著になっていますが、多くの人はクリエイターになるのではないか、と僕は思っています。
クリエイターとは、無から有を作り出すものです。再現性から現れてくるものではないですね。
そういった意味で、今回のコロナは、機会を与えた、と言えるような気がします。(ポジティブに捉えれば、ですが。)
現代とは、近視眼の世界である
現在読んでいる本に、鷲田清一氏の『想像のレッスン』があるのですが、その序章にて、「我々はあまりに想像を働かせる機会を失った」という言説があります。
我々は言葉の意味を想像するより先に指先でフリップしている。つまりググっているんですね。
僕はそれ自体には全く問題はないと思います。
より別の時間に自分の時間を使えるからです。
一方で、想像の訓練はしなければいけないかもしれません。想像とはつまり、物事の裏に何があるのかを思考することだと考えています。
この今の状況は、ピンチであり、チャンスでもある気がします。
そりゃあ(何回も言うけど)、友人と会えないのはつまんないですよ。
だけど、ここは想像力の絶好の訓練の場ですね。
いかに日々を楽しく過ごすか。楽しいという目標のために何ができるか。その積み重ねが後から振り返ってみたときに(解釈を加えたときに)自分の財産になっている気がします。
そのような機会に今がなれば、我々は下をずっと向いている必要はないですね
暗い世の中だけど、明るくいきましょうよ!!
以上、長いぼやきだなぁ!!(終)
こちらでいただいたサポートは研究費(書籍の購入や論文のコピー代など)にあてさせていただきます。