宇田川先生へ突撃インタビュー!!(オープンゼミ直前連載⑤)
皆さんこんにちは!3年生の林です!
オープンゼミ直前連載もついに第5弾となりました。
今回は私達が日々お世話になっている宇田川先生に突撃インタビューをしてきました!
ぜひご覧ください!
「対話するということは、研究するということ」
藤巻)ついに本年度のオープンゼミが開催されますが、お気持ちはいかがですか?
宇田川先生)感慨深いものがありますね。コロナ以降の人間関係というのは、去年度はそれなりに前の年の遺産が残っていたからよかったんだけど…2年目となった今年度は、本当にオンラインでしかほとんど会ったことがない人同士で研究するので、本当に大変なことだなと改めて感じています。
”人と会うことの大事さ・意義に気づきました。”
仕事の関係だったら割り切れるかもしれないけれど、学生生活っていう観点で、正直大学生はやっぱり高校生とも社会人とも違うわけですよね。自分から人間関係を築かなければいけない時期にコロナになって、こんなに難しいんだなと感じていて。そういう中で、それでも何とか一回はオープンゼミをやろうと思ったけど、夏に開催予定だったオープンゼミはうまくいかなくて中止せざるを得なかった。だけれど、そこからそれがこういう形でもう一回やってみようとなったのはが良かったなって思います。運営を担うコアチームの人たちは、特に難しかったよね。
藤巻)うーん、すごくやりにくかったです。去年の遺産がないというのはかなり痛感共感しました。私たちの代はほぼほぼ会っていないですからね。
宇田川先生)そうなんだよね。こんなのってあり得るのかって。だけど、どうしようもなかったんだよね。
藤巻)はい。でもそんな中でも、2年生が、オープンゼミを経験したことはないけどやってみたいと思ってくれたことも大きいなと思います。3年生は一度経験しているからやろうって思いやすいかもしれないけれど…
宇田川先生)そういう意味で、コロナ禍でいろんな人がいろんなダメージをうけている中でもけれど、学生生活のダメージもすはすごく大きいと思うんだよね。学校と家だけという生活環境ではない。講義も人数も多いからオンライン化せざるを得ないですよね。そうすると、大学生活がかなり成約されてしまって。
藤巻)他の県からも人が集まってきますしね。
宇田川先生)そうそう。その難しい中でやってきて、それでもやってみようとなったのは大きな意味があるりますよね。
藤巻)本当ですね。ありがとうございます。では次に、それぞれの班の研究内容についてどんな思いや印象がありますか?
宇田川先生)研究テーマって最初思ったものから進んでいくと変わっていくものじゃないですか。いろいろな紆余曲折を経て今の段階にたどり着いたのは感慨深いですね。
藤巻)そうですね。うちも最初とは全く違う形になっています。
宇田川先生)だんだん変わっていくんですよね。それって僕はいいことだと思うんです。最初に立てた問いが、研究が進んでいくとこれは大したことではなかったなこの背後にこういうことをもっと考えないといけないんだな、と分かることを経て、段々と変わっているんですよね。
研究に限らず、学生の中には悩んではいけないと思っている人も多いように見えます。常に前に進み続けなければならないと。だけど、いろいろ寄り道というか回り道をして、一つのことについていろいろな角度から眺めてみてられるようになって、4月の段階と比べて大きな方向性は変わらずとも見え方は大きく変わったなと感じると思うんです。
”そういう変わっていく自分、自分たちを、研究している側メンバーは楽しんで欲しいなと思うんですよね。”
去年のように年2回開催していた時は、1回目と2回目で研究がすごく進歩したり変化したりするので、社会人の参加者の方々もいい意味で「この間に何があったんだろう」「どうしてこう深まっていったのだろう」と興味深く思ってくれていたこともあったそうです。
藤巻)先生も前回に引き続きミニ研究発表をしてくださるそうですが、そちらについても少しお聞かせ願いたいです。
宇田川先生)基本的には「最近考えていること」をお話しします。コロナ禍でオフラインのイベントに登壇する機会が減りました。オンラインのイベントを見てくださっている方もいるかもしれませんが、終わった後に立ち話するとかもないし、最近どんなことを何を考えているかはあまりざっくばらんに分からないと知ってもらう機会は減ったと思うんです。4月に2冊目の『組織が変わる』本を出し出版した時に考えていたことから、今考えていることへはもちろん変化がありますし、さらに深まったところもあるので、そこは話せたらなと思います。
昨年の12月に、『一橋ビジネスレビュー』にてNEC(日本電気)の新事業開発組織のBIU設立と企業変革というテーマでケーススタディを書いたのですが、今までの『他者と働く』や『組織が変わる』を読んでくれた方からすると、いきなりマクロ組織の話になったよねと思う方もいると思います。ただ、もともと研究的・アカデミックな世界でいう組織論と、一般社会でいう組織論は、結構違う意味で使われることが多いです。アカデミックな組織論というと、組織がどういう原理で動いているのか、そのメカニズムを解明していくという意味合いで使われます。世の中的には、企業単位というよりも部門単位のマネジメントを組織論と呼ぶことが多いです。僕が組織論研究をしていると言うと「もっとモチベーションを高めるにはどうしたらいいですか?」「上司と部下の円滑なコミュニケーションはどうしたらいいですか?」と聞かれることが多いですが、テーマの意味合いは違うんです。僕の著書がそのような意味合いで伝わってしまっていた可能性もあるのかもしれないなと思います。基本的に、組織論で扱うテーマというのは、例えば組織の分化と統合の問題とか、組織の中で現象がどう意味づけられて人々が参加していくようになるのかとか、情報処理の仕組みをどのように構築していくのか、といった話なんです。
でも自分の中ではテーマは一貫していて、僕自身は、
”企業(組織)が変わるのは、どういうことを経て変わっていくのか、どういう実践が必要なのか”
ということをずっと研究しています。そういう意味では、組織のマクロ単位での変化というものに関心はありつつも、じゃあそれはどういう実践の積み重ねでそこに至るのか、という時間軸としては「ここからどうやっていこうか」というところに関心があるんですね。
そんな中で、最近は、全社的な企業変革のことを考えています。企業変革と言うと、一般的には三枝匡さんの『V字回復の経営』や、ジョン・P. コッターの『企業変革力』が思い浮かぶことが多いと思います。確かにこれらの議論は質は高いと思うし、大切です。でも、ほとんどの企業は、この本で想定されているような、ファイナンシャルなところも含めた外科手術をともなう抜本的改革を必要としているのかなというと疑問があるんですね。徐々に会社のパフォーマンスが落ちるような、真綿で首を絞められるような調子の悪さを抱えていると思うんです。そして、それは不確実な変化というよりも、そうなることは確実だとみんなわかっているけれど、急激な変化じゃないからつい後回しになって、どんどん悪くなっていく。これを僕の『組織が変わる』では、「組織の慢性疾患」しかし、自分の独自の視点で企業変革を論じたいので、そんな感じで構想を温めています。企業変革と組織変革はまた異なるのですが、経営学的には同じ意味で使います。企業変革という場合は、大抵、事業ポートフォリオの見直しなども含みます。僕が大学で教えているのは経営戦略論と呼びました。成熟した企業は多かれ少なかれこの状況にあると思うんだけれど、じゃあどうしたら良いのか、ここを考えたいんですね。
そういうことの一環として自分は、マクロの変化のあった企業組織でどんな実践の積み上げがあったのかなというのを色々と話を聴いて回ったりしています。その中で最近思うところを話せたらと思います。なので、もろ、そういう話なんです。そういう戦略論的な色彩も帯びて今は考えています。(企業変革と言うと、三枝さんの話か、そうでないと、いきなり「心理的安全性を高めましょう」といった組織開発の話になってしまいがちなんです。ただ、企業の本来の目的はそういったことでなはく、事業を通して社会に価値を提供することが重要なのです。その点では誤解を生まないようにお伝えできたらなと思います。)
藤巻)ありがとうございます。最後にひとことお願いします。
宇田川先生)
”「研究するって素晴らしい」”
ということですね。僕は社会人の大学院でも研究指導をしています。社会人になってから研究をすることは本当に素晴らしいにも大いに意味がはありますが、つい実務の問題解決策のためにやるという方向になってしまうことも少なくありません。
研究するというのは、自分なりに問を立てて、それに対して考察を深めていくものじゃないですか。様々な角度からちょっと対象と距離を持って眺めてみて、ああでもないこうでもないと登山道を切り開きながら登っていくみたいな。社会人の人も研究を通じて、その感覚をつかんで面白いと感じる方も多い。それは学部生だともっとダイレクトに探求する面白さにつながっていると思うんですね。それって僕は人生の中でとても大きな財産だと思うんですよ。だって、逆境に立たされることもこの先あるかもしれないけれど、どこかにこの状況を打開できるかも、とか、周りの人が逆境だと思っていても全然違う視点で捉えられたりするかもしれない。それは研究的な視点の獲得の為せる業だと僕は思うんですよね。
大事なことで、この経験がいろいろな場であってほしいと思います。
『組織が変わる』で書いた対話の方法も、自分の組織の課題問題を眺めてみる、つまりある意味で本来の意味での研究的な視点を持つということなんです。これはべてるの家という精神障害ケアのコミュニティで行われている当事者研究やナラティヴ・セラピーのリフレクティング・プロセスという実践ものから考えたものです。これらは、きているのですが、一度その問題から距離をとってみんなでいろいろな角度から眺めるということをやっているんですね。
だから、僕は、そういう広い意味でとらえて、研究することには
”この問題解決に役に立つという以上に、もっと生きる上での視座を新たにするような価値がある”
と思うんですよね。この意義や価値を、研究発表をする学生側にも、オープンゼミに参加する方にも感じてもらえたらいいなと思います。
藤巻)確かに。研究的な視点は、研究に留まらず、必ず他の所色んな場面でも活きますよね。
宇田川先生)そう。一回研究的な経験をすると物の見方って変わるでしょ。
藤巻)はい。もっといろいろな考え方があるということ自体を知れるし、そういう今までと違う考え方を自分自身ができるようにもなりますよね。
宇田川先生)それのなにが面白いのか、みたいなのを自分なりに考えたりするよね。
藤巻)言語化して、論拠づけて、プロセスとして捉えて…といろいろなやり方がありますよね。
宇田川先生)やっぱり僕がの尊敬するビジネスパーソンの人たちっては、「対話力がある」という表現することもあるんですけどをしているけれど、これは本来的な意味での「研究力」があるということなんだと思います。「なんでこういうことが起きるんだろう」と疑問に思い、周りの手掛かりから「こうなのかな、ああなのかな」と考えて実際に状況を探ってに調べてみて、何かが分かって「ここがまだわからないぞ」みたいな。まさに観察・解釈・介入ですよね。
”「対話するということは、研究するということ」”
ですよ。
藤巻)しかもそれってやってみないと結局分からないんですよね。だからやっぱり、ゼミをやる意義ってここにあるんだろうなと思います。本を読んだだけだと分かった気になって終わっちゃうんですよね。
宇田川先生)そう!そういうことですよ。だからそういう自分がそういうわかっていくこと、変わっていくことことの面白さや意義を感じてほしいと思います。
藤巻)いい感じにまとまりましたね。(笑)
宇田川先生)取材慣れしてますからね(笑) だけど僕これ、今日顔がすごい疲れてるね…
藤巻)いつものきりっとした感じが足りないので、オープンゼミ当日までに英気を養ってきてください。
宇田川先生)はい、わかりました(笑)
藤巻)よろしくお願いします。ありがとうございました!
さて、いかがでしたでしょうか?
”研究するということは、対話するということ”
宇田川先生がどのような意義をもって研究に取り組んでいらっしゃるのかがよくわかりましたね。
私自身も、二年生のころはなんのために研究をしていてなんのためにこんなにも労力を費やしているのかがわからなくなることが何度もありました。ただ、今になって振り返ってみると、研究を通して得られたものはすごく大きなものであったと実感しています。
本文にもある通り、オープンゼミでは宇田川先生によるミニ研究発表がございます。興味のある方はぜひご参加ください!!
オープンゼミ概要は以下の通りです。
ご参加お待ちしております!
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【日時】 2022/3/8(火) 19:00~22:00(受付開始18:50)
【場所】 オンライン開催(参加URLは後日登録いただきましたメールアドレスに送付させていただきます。)
【内容】 4つの班による研究発表とそれに基づく参加者の方々とのディスカッション
A班「日本のたばこ規制はなぜ進みが遅いのか?」
B班「法律のグレーゾーンはどのように形成され、利用されるのか」
C班「なぜ日本の死刑はなくならないのか?」
D班「女性管理職の登用と企業分析」
宇田川准教授の時間(内容未定)
【参加費】1,200円
※頂きました参加費は、書籍購入費・文献コピー代等、研究の促進のために利用させていただきます。
【連絡先】 openzemi_udagawaseminar@yahoo.co.jp