目に見えないものへの苦悩~今週のゼミ~ Vol.10
皆さんいかにおすごしでしょうか。二年生の新野です。
なーんかずっとディスカッションの写真貼ってもなぁとおもってちょっとキャッチーな写真を選びました。(noteのこの機能便利ですね。今度から上手く使っていきたいなぁと思います。)
最近寒かったり、雨めちゃめちゃ降ったりいろいろありますね・・・
コロナウイルスがどうとかもありますので、読者の皆様、くれぐれも体調の管理には気をつけてくださいね。
(埼玉大学はその辺都心とは少し離れているのでなんとか耐えそうですよね)
さて、今週のゼミに移りたいと思います!
今週のゼミ
今回は、二班の発表(経営理念)の研究と、主に諸々の日程調整が主題でした。
二班の発表は、今回ので少しまた行き詰まった感が否めないので、(というのも、経営理念ってすごい扱うのが難しいテーマだなと。)オープンゼミまでに軌道修正していい研究を発表できるように頑張ります。
公式には決まっていないのですが、第一候補日3月10日です!予定があいていましたら是非いらっしゃってくださいね!
ゼミの課題
今回のゼミとゼミ後の話し合いもふくめて、思ったことは、
「~はなぜこう考えないんだろう」ということの無意味さです。
僕の課題が一番わかりやすいと思うのでシェアしますが、
割と僕って思ったことは素直に言うし、それが相手にも出来ると思ってしまうんですよね。
「~しちゃえばいいじゃん」とよく言ってしまうのです。
こうやって僕がいうのは、技術的には(物理的には)出来ることだから言うのであって、実際僕はそう言えたり、やったり出来るから言ってしまうのです。
でも、この提案自体が提案を受ける側には全く意味を成さない時があるんですよね。
(・・・そう言われても、~の機嫌は損ねたくないしなぁ)
(人間関係が崩れそうであんまり言いたくないなぁ)
というのが、聞く側にはつきまとってしまうんですよね。
その中で、提案した僕は、
「なんで~しないんだよ、出来るだろ」
って思ってしまうし、聞く側は、
「そんなことわかっているけどしたくないから聞いているんだよ」
となってしまうんですよね。
これには3つ原因があって、
提案する側が、相手の立場や人間関係を考慮していない。
そのような人間関係の弱みを吐き出せる場が作り出せていない。
提案される側が、それを実行できるだけの能力がないor立場にない。
があげられます。
この目に見えない関係性が、今のゼミにも存在していて、これを解決しなければいけないな・・・というのが当面の課題です。
しかし、あくまで自分が何ができるかを考えなければいけません。
上記の原因の中で、
誰かがゼミを心理的安全性を有するものに「してくれる」のを待つのではなく、
誰かが相手の気持ちを理解「してくれる」まで待つのでもなく、
また発言できるだけの強さを「有してくれる」のを待つのではなく、
自分が何ができるのか
誰のせいにするのではなく、自分自身が何をできるのか
これを考え続けるのが、僕の、あなたの、ゼミの課題かもしれません
日々精進です・・・
編集後記~「乗り越えるもの」というマインドセットのもったいなさ~
ちょっと重たい雰囲気になってしまいましたが編集後記はこの場を借りていつも通り個人的なことをただつらつらと書いていきたいと思いますw
(雰囲気を写真でごまかす笑 題名 エイリアン・アブダクション)
そろそろ定期テストが近づいてきてまして、忙しさにだんだん忙殺されつつあります・・・笑
その中で、多々文献を読まなきゃいけない&プレゼンテーションの準備、と、やること盛りだくさんです。
その中で気づいたことが今日のタイトルなのですが、
いつのまにか「やりたい」と思っていたものが「やらなければ」に変わっていることってありませんか?
例えば、この授業を受けたい!学びたい!と思っていた講義も、いつのまにか忙しさの中で、「出席しなければならない」「課題をこなさなければならない」
というように変化しているんですよね。
これって、いろんなところで起こる現象だと思っていて
大学。ワクワクして入ってきたはずなのに、「だんだん乗り越えなきゃいけないモノ」に変わっている人も多いんじゃないでしょうか。いかに単位を取るか。いかにこの授業を乗り越えるか・・・
バイト。「楽しく働く」ことを楽しみにしていたのに、いつのまにか非常に「ダルい」ものに変わってしまっていたり・・・
「乗り越えるもの」という考えを持っているときは、すでに先生の言葉を借りるならば、「私とそれ」の関係になっている気がします。
やる気がそもそもそがれるんですよね、「乗り越えるもの」とはつまり、自分からはやらないもの、やらされるもの、になると言うことなので。
しかし、大事なのは、「解釈を変える」ことなのではないでしょうか。
例えば、今ターム(2ヶ月間)、とある授業で英語で5000字の企業分析を行わなければならないのですが、
正直めちゃめちゃ忙しくて、最初は、うわぁ・・・って思っていたのですが、
でもこれって何個かメリットがあるんじゃないか?
と気づいたわけです。
1.英語のライティング
ずっーーと僕はライティングが苦手です・・・。苦手なあまり若干心理的にこれから逃げておりまして、あんまり自分からやろうとは思っていません・・・
2.多数の分析方法をアウトプットできる
5000字のレポート(日本語なら約20000語ほどと言われています)を書く機会なんてそんなありません笑
そのなかで、戦略論にてインプットした分析方法を多数アウトプットして分析することができます。
3.乗り越えた時の無敵感がすごいw
・・・これは単に「仕事おわったーー!」っていう達成感です。冗談ですw
つまり、前もこのブログで触れた気がするのですが、
自分の解釈を変えれば(相手、課題は変わらないので)、意味のない、ただきついように見えていたモノが意味のあるモノに変わることがあるんですよね
ゼミも上で言ったように(どの組織でもありそうな)葛藤や対立はいろいろありますよ。深くコミットすればするほど。
これって、本当にどこまで考えても終わらない気がするので、たまにげんなりしてくるのですがw
でも解釈を変えれば、この状況でいかに自分はゼミを良くするために動けるか、チームビルディングとはどうすればいいのか、自分の欠点とはなんなのか、他者のモチベーションをどのように支えるかetc・・・
などなど、学ぶことは多いのです。
研究を進めることももちろん大切ですが、より実践的に、かつ一生必要とされる能力とは、こういうものではないでしょうか。
自分は何が今不満なのか・苦しいのか、それを解決するためにはどうすればいいのか、何が「自分」ができるのか。
解釈を変えてみるのが大事なのかもしれません!
(いい感じにゼミの話ともつながった!笑)
以上、今週の宇田川ゼミでした!
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お、お前いいこと言うやんと思ったらサポートもお待ちしております笑
ではまた!笑
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