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ニュージーランドプチ留学~世界を飛び回る中国人、シャオとの出会い(2/2)~

ほぼ初対面の人間に対して心を開きかけた私が馬鹿だった。
こうやって今までも多くの邦人がトラブルに巻き込まれてしまったんだろうな。
…私はたった今、たまたま飛行機で隣の席だった人から、ホテルに誘われてしまった。

「No!!! I want to stay here!!!」

Have a nice trip,bye〜と口早に言いながらその場をダッシュします。

一刻も早くここから逃げなければ。
急げ!急げ…!

…と、その瞬間、日頃の運動不足が祟ったのか、走り出した直後に思いっきり転倒してしまいました。
受け身は取ったものの、左の膝を擦りむいてしまいました。

(…最後の最後で、これかぁ…もうダメかもしれない)

最悪の考えばかり頭をかすめ、しばらく立ち上がれなかった私に手を差し出してくれたのは、シャオでした。

「驚かせてすまない、どうか落ち着いて聞いて欲しい」

私をベンチに座らせ、血の滲む膝にハンカチを当てながら、彼はこう続けました。

「いいかい、私は既にこのホテルの一人部屋を予約している。私とあなたが一緒の部屋に泊まる事はない。これからホテルに行って、他に空いた部屋がないか聞いてみるだけさ。空きがあればそのままホテルに泊まれば良い。それだけの話だ。」

…会ったばかりの彼の言う事をどこまで信じて良いのか分かりません。
無理矢理連れ込んで…なんて事があったらどうしよう。
そもそも彼がどうして私にそこまで親切にしてくれるのかも分かりません。
疲労が蓄積し、意識も朦朧とする中、ズキズキと響く左足の痛みだけが現実的に感じました。

「夜の異国の空港であなたのような若い女性が一人で過ごすのは危険だ。鍵のかかる安全なホテルで過ごした方が良いだろう。」

今思えば彼はまっとうな事を言っているはずなのですが、それでもあの時、一度芽生えた私の猜疑心はなかなか消えません。
あなたが私に何か悪さをするんじゃないか、という言葉がうまく英語で表現できません。

「空港の中にあるホテルとはいえ、そのホテルに泊まるには一度香港を出国しなければいけないんでしょう?怖いよ…」

「なぜ怖いんだ?出国手続きはイージーだ。私が一緒だから大丈夫。」

…考えて、考えて、考え抜きました。

「私はただ、あなたが夜の空港に一人でステイするなんて危険な事をしようとしているから止めているだけだ。」

彼の言う通り、夜の空港で緊張しながら一人で過ごすよりも、お金は多少かかっても、鍵のかかるホテルでステイした方が快適かつ安全かもしれない。
さっと調べたところ、ホテルまでのルートは空港の中を通るので、空港よりも外に出る事はなさそうです。

…何か異変を感じたらすぐに誰かに助けを求めよう。逃げよう。

「…分かった、シャオのことを信じるよ。…その代わり、部屋が空いて無ければ、私は空港に戻る。」

よし、それじゃ行こう、もう立てる?と私に声をかけたシャオの後ろを2、3歩離れて、我々は出国手続きへと向かいました。

その時は既に夜中の22時を回っていましたが、出国手続きには多くの人々が並んでいました。

ひとつひとつ、丁寧に書き方を教えて貰いました

カウンターに置かれた手続きに必要な用紙を取り、一つずつ確認しながら記入していきます。

シャオの紙に書かれた生年月日に驚きました。彼の落ち着いた物腰からてっきり歳上なのかと思いきや、私より2つも歳下だったのです。

「…シャオ、3X歳なんだね。私より2歳若いんだ」

「いや、カボスと同じ3●歳だよ」

「えっ?だって、生まれ年、私より2年後じゃん…」

「書けたね?そしたら念のためこの用紙の写真を撮影しておいて。さぁ、イミグレーションカウンターへ向かおう」

(この時は彼が何を言っているのか全く理解できなかったのですが、後から教えてもらったところ、どうやら彼の生まれた地域では、生まれたその瞬間から1歳とカウントするようです。
また中国人は誕生日ではなく、春節を迎えるたびに歳を重ねるため、生まれたタイミングによっては一気に2歳も歳を重ねる事態が起こり得るとの事です。)

出国手続きに必要な紙を記入し、パスポート、搭乗券を見せるだけで、あっという間にイミグレーションは終わりました。

出国ゲートから歩いてすぐのところにそのホテルはありました。
春節の時期だったのできらびやかな装飾が目を引きました。

油断できない状況下のはずなのにシャッターを向ける余力はあったようです

チェックイン手続きをしているシャオの後ろに並び、(英語でうまくホテルの空き状況を聞き取れるかな…)とドキドキしていると、彼は私にルームキーを渡してくれました。

「これがカボスのルームキー。私は別の階の部屋だね。今からなら5時間は眠れるだろう。」

彼は中国語でフロントの方と会話していたので全く気が付かなかったのですが、どうやら、いつの間にか彼自身のチェックインとともに、部屋の空き状況を確かめてくれ、ついでに私の分の部屋の代金まで支払ってくれたようでした。

「えっ、何円払えばよいの??」

財布を取り出した私を制止し、Don't worry、それではまた明日の朝5時にこのロビーで待ち合わせしよう、と告げ、彼はエレベーターへと消えていきました。

突然の状況に混乱が止まりませんが、私も自分の部屋に入る事にしました。

目に飛び込んできたのは6時間の滞在にしてはもったいないくらいのお部屋でした。

6時間だけの滞在なのが惜しい…

…久しぶりに、束の間の一人の時間です。少し傷口に染みるあたたかなシャワーに、私の張り詰めていた緊張の糸は切れ、私はふかふかのベッドに倒れこみました。

(このホテル、一泊何円くらいするんだろう…明日請求されるかもな…その時は勉強代と思っておこう。)

彼がなぜここまで親切にしてくれるのか疑問は拭えませんが、その日の夜、私はシャオのおかげで安全に香港の夜を過ごすことができたのです。

翌朝5時にロビーで待ち合わせた我々はチェックアウトを済ませ、出国審査へと向かいました。

その際に、シャオの身体に金属探知機が反応した事と、パスポートを開いて手で強く機械に押し付けて!と注意されてしまった事以外はスムーズに手続きを終えて、我々は搭乗口の前まで無事に到着しました。

一向に昨日の宿泊代の請求をしないので、私は諦めて搭乗口付近の飲み物屋さんでパインジュースを購入し、シャオに差し出しました。
彼は喜んですぐに飲み干してしまいました。

「ハオチー?」

「好吃」

「あぁ、ハオツー!」

その後も我々は今後の仕事の事であったり将来の夢であったり、そんな事を語り合いながら過ごしていましたが、やがてシャオが搭乗する上海行きの飛行機の搭乗時刻が迫ってきました。

疑って申し訳なかっただとか、宿泊代を出してくれてありがとうだとか、色々と彼に言いたい事はありましたが…
今はもうシンプルに、この言葉だけで良いや。

「谢谢。…再见。」

私が唯一知っている中国語を伝えながら右手を差し出します。
我々は握手を交わしました。

「いいかい、カボス。最後まで、どうか安全に帰国するんだよ。君のことを心配している家族、親に、君の元気な笑顔を見せるんだ。」

一呼吸置いた後に、彼はこう続けます。

「この先、色々なことがあるだろうけれど、君ならきっと大丈夫。」

手を離し、byeと手を振り、私はシャオに背を向けて歩き出しました。

歩き出してしばらくすると、それまで表示されていなかった成田行きの搭乗ゲートが表示されました。

33ゲートが表示されました。これが最後のフライトです。

…たまたま彼が良い人で良かった。
正直、この話を美談として綴る事には、かなりの抵抗感があります。
今回の私はたまたま強運を持ち合わせていただけ。

しかしながら、自分がいざそういった状況下に置かれると、他人をどこまで信じるべきか分からなくなってしまう。

(…反省は次に活かすとして…とりあえず、何事もなかった事、そしてシャオの親切に感謝しよう…)

成田へと向かう飛行機の中はガラガラで、私の隣に座る人は誰もいません。

遠くに見える香港市内。いつか行ってみたい場所です。

(あっ、結局お土産買えなかった…)

往路で画策していた、香港のお土産を沢山購入しようという計画はすっかり頓挫してしまいましたが、私が無事で生きている事が一番のお土産だ、と納得し、そのまま私は深い眠りにつきました。

眠っている間に配られた税関申告カードをバゲージクレームの場で慌てて記入し、私は無事に帰国手続きを終えました。
寒い2月下旬のはずですが、その日は蒸し蒸しとした生温かい日でした。

(夏のニュージーランドの方が涼しいってどういうことよ…)

街にあふれる日本語のアナウンス、日本語の看板。

(この国から出ない限り日本語だけ学んでいれば良い、という考えにもなるような気がするな…)

自宅に向かうバスに揺られながら、長かったようであっという間のプチ留学を反芻します。

今回の滞在で、私の英語力が劇的に向上したかというと、そんな事は決してありません。
むしろ私のダメなところばかり露呈して、出来なくて傷ついて、傷ついた分成功体験を積み重ねて、また傷ついての繰り返しでした。

そんな中でも、私の中のゼロだったものが「1」に増えた。

ゼロに何を掛けてもゼロのままですが、1に何かを掛ければ無限の可能性が秘められている。

これからどんな数字を掛けていくかは自分次第。少しでも大きな数字を掛けて、もっともっと私は成長していきたい。

(この先色々なことがあるだろうけれど、君ならきっと大丈夫。)

シャオの最後の言葉を胸に、重たいスーツケースを担ぎながら、アパートの階段を一段一段登っていきます。


「…ただいま!」

出発当日は泣き腫らした不安な顔で閉めた部屋の扉を、私は満面の笑顔で開いたのでした。

END

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