言語には五感をそのまま表すほどの能力は無い。 目の前にある光景を文字だけで説明することは出来ない。 文字のみでのコミュニケーションで発生する誤解が肉声では減り、顔を合わせれば更に減ったりするのは偏にコンテクストが存在するからである。 文字以外の情報であるコンテクストが増えれば増えるほど、誤解は減る。(逆に誤解が発生することもあるだろうがまあ一般論として納得できるものと思う) 極端な例だが、今朝の祖父母の会話を見てほしい。 祖母「あっ、ゴミ」 祖父「あぁ、でてたか?」
ー 船の部品を全て変えても同じ船なのだろうか? 人間はこの手の問題についてかなりの長い時間考察を続けているように思う でも私は思うのだ、そんなに考察するような話だろうか? 答えなんて決まりきっているのではなかろうか 「同じ」の定義 まずこれを話さないことには始まらない ここを明確にしないことでで無駄な議論をしているのだ 同じであることとは「部品が同じこと」なのか? それとも「原子配列が同じこと」なのか? 「見た目が同じこと」なのか? その定義によって答えは違う 原
突然だが、この状態で何を切ればいいかがわかるだろうか?(そもそも和了なのかそうじゃないのかもすぐ考えるのは結構難しいと思う) 答えは6筒である…なんてツールで計算して言うのは簡単だが、そもそも清一色手でどれを切ればどうなるのかというのが分からないということはよくあるだろう そこでまずどの牌が不要か?の目星を付ける方法を考えてみよう 大前提の話このサイトによれば一色が14枚の場合、80.4%が1枚切って聴牌であり、和了が11.7%である。 なお、13枚時に二向聴であるこ
暇だったのでちょっと麻雀の話でもしましょう 渋谷ハルさんと渋川難波プロの動画の最初の方のこの手です。 動画内では渋谷ハルさんが2萬を切ってダメ出しを受けていた局面です。 さて、何を切るのが最も期待値が高いのか? 動画内では9・8索が勧められていますし、実際私も8索から落とします。 ですが、冷静に2萬切りは数理的にはどうなのかを考えたいと思います。 まず場に出ている牌を考慮せずに、期待値・和了率を計算機に教えてもらいます。すると計算結果はこうなりました。(南一局・西家