内坂庸夫
1986年雑誌「ターザン」が創刊された。積極健康、快活元気生活がやってきた、フィットネスがやってきた。でさ、カラダが元気だとココロも元気になれるし、その逆もそう。
絵を描いたことがなくても「印象派クロード・モネ」くらいは、みんな知ってると思うな。モネさんは気に入った景色があると、長くそこに滞在して、角度や時刻、季節、つまり光を変えてさまざまな絵を描いています。「ルーアン大聖堂」なんかが好例です。 そしてノルマンディーの「エトルタ(当時は小さな漁村だったらしい)」の奇勝奇岩もそうとう気にいったようで、たくさんの作品があります。 で、その奇勝奇岩。海に向かって右にアモンの門、左にアヴェルの門(モーパッサンは象の鼻と名づけたらしい)と、め
油井さんがニヤリと笑って差し出した。 「え、なにこれ」 「こうすんのさ、ほら」 大昔の話。ヴァン ヂャケット(1978年倒産。いまなお同名の会社が似たような衣類を売ってるけどまったくの別物、まったくの別会社)の宣伝部は青山3丁目の角にあって、昼休みはその交差点、キラー通りを南に下りていった。 キラー通りの北には国立競技場や東京体育館がある。そいつを南に青山墓地方面に下ると、やんごとなき方々が贔屓になさる「スキーショップジロー」が途中にあって(そこでもアブラを売って)、その
「雲の上へ」 著/キリアン・ジョルネ 訳/岩崎晋也 刊/(株)エイアンドエフ 2300円 2008年。まだ大学生だったキリアンがUTMBデビュー、2位ダワ・シェルパに1時間の大差をつけて優勝。翌09年もぶっちぎりの優勝、お目当ての日本人選手は3位、それは大したもんだけど、キリアンの1時間15分あとだ。その後2011年にも彼はモンブラン一周160kmを制覇している。キリアン・ジョルネUTMB3勝。 2011年には、37年間門外不出だったアメリカの誇りWSERタイトル
UTMFもいいけど、こっちもね、の声が多い「阿蘇/ART100」ですが、「緊急事態宣言」が解除された後の開催なので、他の都道府県からの参加も大丈夫そうです。 主催のみなさんや、また期待に胸をふくらませている選手たちを強く強く応援するつもりで、間違いなく完走できる「対策」を書きました、スントの設定方法なんですけど。 特に、ARTはコースマークの数が必要最低限、油断していると道迷いしやすく、カンカン照りだと脱水しちゃいます。なので、せっかくスントを持っているならきっちり「ナビ
そもそもは馬の100マイルレース(後にテヴィス・カップと呼ばれる)で、1955年にウエンデル・ロビーなる男の愛馬自慢、「馬はワンデイ(24時間)で100マイルを駆けることができるか?」 から始まっている。ここまでは前回#1。 ときは過ぎ、77年にとんでもない男が登場する。馬のレースに馬なしで出場して、自分の脚と足で走っちゃうゴードン・アインズレイだ。そう、彼がWSERの直接のオリジンだ。 でさ。スタートラインに並んだときに、愛馬の具合が悪いので、しかたなく、馬から降りて、
100マイルつまり160km。どのくらいの距離かおわかりでしょうか? 「東京・日本橋」を起点にして、東へ直線で静岡の先「焼津」までが160km。甲州街道20号なら「諏訪湖」だし、東北方面は「白河」ちょい手前になります。南に下ればもちろん太平洋、新島の隣の「式根島」がどんぴしゃで160kmです。 とんでもない距離でしょう。だけど、ヒトって素晴らしい生き物で、そんな距離を走れちゃうんです。なかには、24時間をかからず走っちゃう、さらにとんでもないヒトがいます。 そしてあなた。
「ウェスタン・ステイツ」。まさか、自分が行くことになるとは(うれしいなあ)夢にも思わず、2年前に「ターザン」にその歴史を書いていたよ。ここに修正&追加してこの大会のそもそもをご案内しましょう。 まず、われわれ日本人トレイルランナーはこの大会を「ウェスタン・ステイツ」と言うけれど、正式名称は「ウェスタン・ステイツ・エンデュランス・ラン」略して「WSER」だ。 エンデュランス・ランすなわち持久走、ウルトラやトレイルという言葉はどこにもない。1977年、そんな言葉が生まれる
人類初、エリウド・キプチョゲが公認大会ではないにしろ42.195kmを2時間かからず(1時間59分40秒2)走り抜いたときの靴はご存知「ナイキ」。あまりに速すぎる、他ブランドのやっかみもあって、世界陸連はプロトタイプ(特定選手カスタムモデル)を使用禁止とし、大会で履いていいのは、出場レースの4ヶ月前から一般市場で販売されていて、誰でも購入できる靴、と決めた。「ナイキ」の厚底はそんなに違うの、そんなに速いの? 凡足ランナーには縁もゆかりもない話だけど。 世界一速いランニング
2005年11月20日東京国際女子マラソンを忘れない。高橋Qちゃん2年ぶりのレース。 乾坤一擲、35kmの上り坂手前のスパート。追いすがるふたり(ひとりは03年大会優勝のエルフィネッシュ・アレム/エチオピア。このときQちゃんは2位、アテネ五輪代表を逃した)をぐいぐいと引き離し、国立競技場に万雷の拍手と歓声のなか堂々の凱旋。みんごとに雪辱を晴らし、大復活の大優勝である。 忘れない理由はもうひとつある。Qちゃんの大感動ドラマをラジオで、その一部始終を、聞いていましたさ。彼女
2月2日、キャプテン・サー・トムが亡くなった、コロナで。 フットボールファンなら誰でも知ってる名門チーム「リバプール」のアンサム、《You’ll Never Walk Alone/ユル・ネバー・ウォーク・アロン》。聞けばわかるけど、涙が出るくらいの熱烈応援歌。1963年、大ヒットさせたのは、当時リバプールの人気バンドとして「ザ・ビートルズ」と人気を二分していた「ジェリー&ザ・ペースメーカーズ」(だってマネージャーが同じブライアン・エプスタイン)。 世界応援歌選手権なんてもの