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山崎春美の教え、天使現る、ひかりのうま

解散手前の集合写真 撮影Tsuyoshi Kuboさん。
教訓 自分のキャパシティを超えた時は遠慮なく人を頼る。非常時はためらわず現地へ足を運ぶ。タクシー代をケチらない。あとで取り越し苦労だったとしても、余計な事を考えず、110番や119番へすみやかに。

2023年1月30日「孤独のパーティー、それから」は泪橋ホールにて、ロバートDEピーコ、エンヤコーラーズ共催、結果的にぺぺ長谷川氏最終ライブとなった。2023年2月15日、編集者の原島さんが和光市のぺぺさん宅を仕事の目的と心配の予感もあり、訪れ、第一発見者となった。ぺぺさん友人で度々ぺぺさんの家に居候というか「合宿」(ぺぺさんの好きな言葉)をしていたハラさんが最後に滞在した日、ほかの人がぺぺさんと最後にメールや電話のやりとりした日など照合して、13~15、ロバートDEピーコ的にはフェミニズム問題に関心の高いインテリでお茶目なところのあるぺぺさんの命日はバレンタインデーということにした。

というわけで2024年2月14日の孤独のパーティーは、ひかりのうまで当初計画していたが、店主のマルタさんこと、谷口マルタ正明氏の病気発覚により、会場を高円寺dbに移しての開催となった。「孤独」と言いつつ、タとエをメインゲストに、ぺぺさんゆかりの様々な人が参加する大交流パーティーだった。

2025年2月14日。暮れにマルタさんから「そろそろロバピーやってよ、ひろしくんの歌聴きたいよ」と声がかかり、ならば今度こそと企画したライブだった。いつものことながらギリギリ発進のため、はじめに佐藤幸雄さんをお誘いしたがメンバーの方の都合がつかず、他のバンドや個人のアーティストの名前が挙がるものの、集客力のなさ、金のなさにだけは自信があり、優柔不断な我々はあーでもないこーでもないとさらに数日保留にした末に、私が別バンドで一緒に活動しているから声をかけやすいかも、と山崎春美さんを提案。また若手にも声をかけようと、栗原モナコさんもお誘いすることになり、春美さんもモナコさんも快諾してくださった。春美さんのソロという案も考えたのですが、Ti’punchリハーサルの時に提案したところ、次々と参加希望の手が挙がり、総勢10名のLittle Punchとして、その中にはこれがデビューライブとなる予定だったHikari Takadaさん、音楽活動はすでに始めて大注目を浴びているけれどもロックバンドのエレキギターは初挑戦だった「まるたんぼ」のNanariさんもゲスト出演だったことを強調しておきます。

当日が近づくうちに、マルタさんのツイートから不安な様子が流れてきたので心配になり、前日夜に最終確認のメッセージを送ると、♡マークが返ってきたし、「ひかりのうまは30年続ける」といった力強いツイートも見て、安心して演奏の準備をしたのだった。

ところが結果的には、土壇場でライブを中止することになった。より正確に言うならば、ひかりのうま店内でのライブは開催できなかったが、お店の前で、ぺぺさん流に言うならば大「交流会」が催され、ヒロシくんの路上ライブが発生し、まるたんぼ、ろくろ、モナコさんなど若手ミュージシャンから春美さんの友人まで、またぺぺさん三回忌で、16日のかけこみ亭追悼企画などもあるため、かなり遠方から駆けつけてくださった方もいた。さらに、マルタさん安否確認のため、それぞれが自分とマルタさんをつなぐ伝手という伝手に手あたり次第、連絡をしたため、お当番だったYATARAさんだけでなく、ひかりのうまレギュラーの原田淳子さん、岩橋さん、ヌカタさん、穂高亜希子さん、mi-faさんなどが駆けつけてくださった。

マルタさんバンド仲間のみなさん、前日ライブされたみなさん、なってるハウスさん、佐藤幸雄さん、心寄せてくださったもっと多くの方にここで感謝します。

私がご連絡させていただいたYUKA IJICHIさん、広瀬波子さん、鈴木美紀子さん、キースさんにも。心強かったです。

私はというと、マルタさんが「寝過ごしちゃった、ごめんごめん」とシャッターを開けてくれるのをギリギリまで切望しつつ、時間が経過し、気温も下がってきたことで不安が増し、マルタさんの住所がわかり次第、春美さんが「タクシー代出すから行きなさい」と2千円渡してくれたのを手に握りしめて、淳子さんYATARAさんとタクシーに乗り、マルタさんの自宅に明かりがついたまま、呼びかけても反応がなく、淳子さんに110番してもらい、すぐに警察と救急車が到着し、、、という間、おろおろしているだったように思います。警察に連絡というのも非現実的な気持ちでいっぱいでしたが、直前にやっぱり春美さんが「こうなるともう警察案件だよ」と断言してくれたことに背中を押されました。

3人で扉をどんどん叩いたり、窓は開かないかと試しながらマルタさんを呼ぶうちにご近所の方が出てきてくれて、不動産屋さんに連絡してくださったり(営業時間が過ぎていて連絡取れず)、日ごろのマルタさんの几帳面で誠実な様子が伝わるエピソードを話してくださったりしたのもありがたかったです。

開場時刻の19時を超えた時点で住まいがわかり、家へ向かうことになったので、そこで私はライブ中止の判断をして、集まった人たちや集まろうとしている人たちへの周知は各バンドの皆さんに託しました。その時春美さんには「なぜ中止?」と言われました。確かにミュージシャンが16人+アルファ集り、ギャラリーも30名近く、ライブハウスの目の前に集結していたのです。アンプラグドで、通行の邪魔をしないようにお行儀よく、90分のライブは無理でも手短に「ライブ」開催はできる、そうか!と、思いました。そして私が不在の間に事実、ライブと交流会が開催され、日ごろのマルタさんの教えに従い、喫煙者はお店から離れたところへ移動して喫煙し、近隣から苦情で警察が呼ばれることもなく、平和のうちに、ヒロシくんが「核爆弾はいらねえ」をちょろちょろと4歳のヒトくんが動きまわりながら、歌っている映像を見ることができました。

救急隊のお陰でマルタさんが間一髪救出され、搬送される前に目を閉じているけれど意識があり、笑顔でありがとうと呟くマルタさんの肌に少し触れて、発熱のせいもあるのだけど、体温に感動してしまった。たまたま集まった私たちと「マルタさん」と呼ばれる谷口氏との「関係性」を不審がる救急隊と警察のヒアリングに冷静にこたえる淳子さんは頼もしく、宗教か不倫か?みたいな問いかけ自体が滑稽すぎて、深刻に心配しつつも笑っちゃう場面もあったこと、ちょっとした待ち時間に「こんなときだけど前から会いたかった」みたいなノリでSNSの連絡先交換する私たちとか、思い返すとなんだかほっこり。それも含め、マルタさんの、ひかりのうまの魅力であるなと。よくぞこんな多種多様な人を集めてくださいました。

私はクリスチャンでも創価学会でもなんでもないけど、無宗教かというとそうでもなくて、宇宙に大きな存在があるかもしれないし、一人ひとりの心の中に仏様みたいな存在がいるのかもしれない。人間だけでなくすべての存在に天の使いみたいな何かが宿っていると感じるときもある。三回忌ともなるぺぺさんにはそろそろゆっくり休んでもいただきたいが、今回、ぺぺさんがみんなを集めて、マルタさんを助けてくれたとも思える。淳子さんはデモのとき、時々天使の羽をつけて現れる。ほかの人にはメールやSNSのメッセージを送るにとどめたのを、淳子さんには電話をかけたところすぐつながり、また驚きの速さで大久保駅から本人が現れたときには、天使の羽が見えたようだった。大袈裟かもしれないけれど、そのくらい嬉しかった。

YATARAさんとは初めてお会いしたけれど、非常時を共に乗り越えた同志みたいな気分が芽生え、3時間立ち通しで神経はたかぶっているものの、体はすっかり冷え切って、しかもお昼を食べて以来なにも口にしていなかったので妙に喉が渇き、空腹を感じた。最後まで残った岩橋さんとヌカタさんと4人で立ち話をしていたら、YATARAさんのパートナーが偶然通りがかる奇跡も。バイクのヌカタさん以外の4人で近くの居酒屋へという流れで、一人で食事していたというぺぺさんの友人MAKIMAKIさんと会い、彼女が会計を済ませたばかりのお店へ5人で入ることになった。そこですっかり温まった私はうっかり電車を寝過ごして、、、ま、それは別のお話ということで。こういうときに自分の器の小ささを実感。卑屈ということでなくて。たかぶる気持ちを静めるためと、マルタさんが「生きてます」とツイートしてくれた喜びをアウトプットしました。引き続きお大事に。

また、ひかりのうまで、会いましょう。

終電を逃し、体力の限界を感じつつ、大倉山でタゴールソングレッスン。でも行ってよかった。先生のありがたいお話、梅見。

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山本恭子
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