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音楽の正解

表紙写真はモナコさんライブでお馴染みになり、毎度素晴らしい写真をたくさん撮影してくださるクボツヨさん。今回もありがとうございました。

帰り道。モナコさん撮影 大役果たして力尽きている小西さん

山本恭子+馬野ミキとしては2度目のくんちゃん。モナコさんにご紹介いただいて訪れるのは三度目ですが、またもや道を間違えてしまった・・・。野方の商店街が魅力的すぎて、目移りするうちに違う道へ出てしまうマジック。まりぃちゃんも初めて来てくれました。

山本恭子+馬野ミキ
栗原モナコ ソロ
モナコさんソロ+小西さん +恭子

午後、私はミキちゃん・まりぃちゃんと、モナコさん・小西さんも、それぞれにリハを経て、夕方会場リハに集まり、直前まで3人くらいの来客の気配を感じつつ・・・蓋を開けてみたら補助席を用意するくらいのくんちゃん的満席。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

日本全国から集められた焼酎の注文がひっきりなし、くんちゃんもおおわらわ、その効果あって、様々なヤジやら応援の掛け声がかかり、裸踊りする人まで・・・みんな笑顔で良い時間でした。

一か月前くらいにミキちゃんと練習をしたときにセットリストを仮決めしましたが、そのうちの一曲を直前に何かと差し替えるということになり、作りかけの新曲を仕上げて演奏するという案が出て、直前の一時間で仕上げを。といってもやはり仕上がったとは言えない状態でしたが、季節的にも「春を待つセレナーデ」ということで「今でしょ」と思い、半ば強引に演奏しました。良し悪し、好き嫌い、結果についてはそれぞれの感想、意見があると思いますが、その出来事を通じて自分自身の音楽に対する姿勢みたいなものを再確認したので言葉にしておこうと思いました。

ショーというものと、ライブというものは同じようで、私は違うと思っていて。例えばもう随分足を踏み入れていないけど、ディズニーショーは一定の質で、はじめから終わりまで、365日、寸分違わないショーをする。ダンサーが休暇などで入れ替わっても、月曜に観た人と金曜に観た人が同じものを観たと感じる水準のものを提供する。生身の人間がそうしたことを実践するのは並大抵のことではないけれど、大きなお金がかけられていることもあるけれど、そこに出演する人たちも恐らく高い理想やプライドを持って、ショーの水準を保つ。一人一人の背景とか、生活感とかは排除して、むしろそうしたことを束の間忘れさせるために、ファンタジーを提供する。

さて、私がライブをするときは努めて、普段の延長、繰り返されないものを目指している。何かを引きずるのは良くないしつまらないから、舞台とそれ以外とで切り替えはしている。衣装もちょっと考える。たまにはお化粧することもある。いまパソコンに向かっている私、ほとんどの時間を一人で無言で過ごしている私とは違うけれども、へんにカッコつけた音よりもできるだけ素のままの音楽を届けたいと思う。一度きりの一期一会の演奏、即興・譜面のある音楽どちらでも、その時その時は一瞬、同じことを繰り返したり、ただなぞるようなものはしたくない。

ミスはしないほうがいい。ミスなのに本番でそれらしく演奏すればそういうものだと誤解されるから、イメージしたもの、譜面に書いたものをその通り演奏したい。そのために練習をする。それでもミスは起こる。打ち合わせたことと違うことが次々と起こる。自分も忘れるし相手も忘れる。それはもうミスではなく、その日の音楽として受け入れる。

練習の時には浮かばない、わからなかったことが本番のお客さんたちの視線や空気に触れた時、イメージが膨らんで、それを実行することもある。耳障りな音、不協和音、ズレ、そうしたものが作為的でなく自然に起こったなら、それも音楽として受け入れる。わざとらしい、不協和音を生み出すための不協和音演奏はあんまり好きではない。でも戦争の歌には美しい旋律、正しいピッチ、おさまりのよい予定調和などがそぐわないというようなことがライブでは起こる。まったくなにも考えず、出がけに鞄に追加した小物、ライブ中使うかどうかわからない、なにも決めていない、ただ手近なところへ置いておいた鉄筋の切れ端や窓枠の鉄の破片を叩いたりこすりあわせたりして、耳障りな音を作る。あとでダメ出しされたけれど、私には自然なことだった。

詩を大切にしたい。詩の言葉が聞き取れないのは私自身がライブを聴きに行ったときにストレスに感じる。詩の言葉を届けるために滑舌を良くするトレーニングをする。言葉の意味をイメージする。言葉の切れ目を、息継ぎを工夫する。背筋を鍛える。大きな声は、持って生まれた声帯の限界もあるけれど、それでも少しずつ喉が開いてきた。ずっと声にコンプレックスがあった。今もある。歌が下手だと沢山の人に面と向かって言われた。でも、人前で歌うのはやめろとまで言う人は今のところ、少ししかいないから、続ける。言葉を生かす旋律については、今回の曲で初めて取り組んだ。まだまだ改善の余地ばかりだけれど、昨日の初演を聴いた人に一年後にまた聴いてもらいたい。

「冬のはじまり」に続く、「春を待つ」姿勢を音楽の方針にして、同じ時に2つの曲を作った。ひとつは先にメロディが浮かび、あとから自分で短い詩を当てはめるようにつくった「春待ち」。もうひとつが昨日のセレナーデ、ミキちゃんが詩をささっと書いてLINEしてくれたものに、あとから旋律を当てはめた。そういう作り方は初めてトライした。まだ竈で焼かれる前の成型だけしたパン種のような状態でライブするのは、ふつうはやらないこと、だけどここから変わっていくものを共有できてうれしい。ライブだなあと感じた。

自分のやりたいことは、それはそれとして、貴重な時間、労力、お金をかけ、海のものとも山のものともわからないLIVEに足を運んでくださるお客様に喜んでもらいたい気持ち、恩返ししたいという気持ちも同じだけある。演奏中は自分の音や周りの音へ気を配るのは当然のことながら、演奏会のあとにもさらに耳を澄ませる。「今日のLIVE来てよかった」「楽しかった」「面白かった」お酒のおかわりが続く。異業種交流会?今後のLIVEの打ち合わせ?自分のLIVEチラシ、応援したい映画のチラシを配る人、「あの曲のタイトルは?」「音楽への思いは?」一人きりの人はいない、みんなそこここで小さな集団になり、楽しそうに談笑している。酔が進みすぎた人もチラホラ。うむ、LIVEは成功。

2年にわたり、LIVEを沢山経験させていただきました。これで終わりというわけでは、そういうつもりではないけれど、あれこれ試してようやくどういうことがしたいかが見えてきたので、ひと呼吸おいて、学ぶべきを学んで、また少し別のベクトルの活動へ移りたいと思います。演奏のお誘いは大歓迎です。引き続きよろしくお願いします。

おつかれさまでした!

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山本恭子
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