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wwFes2025
Whenever Wherever Festival 2025 共生と社会と<らへん>
1秒に1秒進むtime machineを一緒につくるということ
https://bodyartslabo.com/wwf2025/
に、蟻鱒鳶ルのみんなと参加した。
イベントの名称を何度チラシを見てもSNSで見ても、なかなか覚えられなかった。ダンサーの人たちが運営・出演に多いようだということを感じた。
去年、岡さんがオファーを受けた日、たまたま蟻鱒鳶ルに居合わせたのでざっくりした話を聞いた時はどんな催しかさっぱりわからなった。岡さんがトークショーをする。そのオマケでちょっといつもの現場で休憩時間や打設の打ち上げの時みたいな突発的LIVEを、初めて蟻鱒鳶ルの外部で行う、そんなイメージ。
話が本決まりになって、岡さんのトークに作業メンバー、といっても歴代全部は無理だからごく最近の仕上げ作業に携わっていたメンバーが参加すること、私の映像、蟻鱒鳶ル映像班の映像(こっちはプロ、私はシロウト)も流すこと、そして音楽のライブがあること、、、とショーのプログラムが段々明確になっていった。
まだしばらく時間があったので、主にLINE上で準備のやり取りがあった。用意周到にしたい派と、本番のインスピレーションを大事にしたい派で対立こそなかったけれど、わりと極端な意見が出て、ゆるやかに選曲が行われ(そのうち一曲はこのwwFes2025用に馬野ミキ書下ろし)、前日に希望者のみリハをすることだけ決まった。衣装は作業着にしようか、とか、当日の集合時間や注意事項は、、、といったことがポツリポツリと流れてきては静まり、その静けさに私は期待感が高まった。祭りだ。2,3人集まるだけでいつもハッピーで楽しい仲間たちが20人以上集まりそうな企画、打設ごとの小宴会、一昨年の岡さん誕生日会、去年の上棟式や工事ひとまず完了の宴会などが思い起こされてワクワクした。
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前日のリハ、の前に私が預かっている蟻鱒鳶ル・アコーディオン(私が友人からもらい受けたけれども蟻鱒鳶ルの共有楽器ということにしている)運搬のため、カズノさんが実家まで来てくれた。そこからして面白かった。2019年に母が亡くなって一人暮らしになった父の介護は、基本的に福祉サービスを受けられるだけ受けており、家族はそれほど大変ではないが、苦労がないわけではない。自分自身が介助の仕事を短期間だがやってみた経験から、家族だけで抱え込むより、なるべく関わる人口を増やすのがキーだと感じ、友人になるべく実家へ来てもらうことを試みた。ところが、2020年はパンデミックの始まりだったので、そんな試みも結局4年間途絶えたままだった。だからカズノさんが来てくれて、ちょっと私が料理を仕上げるまでの間、父とお茶を飲んでいてもらったら、一緒にTVでカーリング大会鑑賞をして盛り上がってくれて嬉しかった。
二人で田町へ向かい、会場に着くと、先に着いた人たちが公園で待っていてくれた。日陰は寒いけれど日向はぽかぽか。楽器を出して、そろりそろりと音を出し始めると、途端に公園にいた人たち、特にこどもたちが近寄ってきた。こどもたちに見守られながらちょっと控えめな音量で練習をする。苦情が来ないうちにと、撮影や録音をしながら練習を繰り返したが、結局寒くなるまで、喫煙チームが我慢できなくなるまで、どこからも苦情は入らなかったようだ。モノレールもJRも地下鉄も通っていて飛行機も通り、道路にも面している。子どもたちは大声で遊んでいる。そんな中だから建物の騒音対策もしっかりしているし、アコースティックの楽器くらい大丈夫なのだろう。はじめじっと聴いたり、サッカーや遊具と私たちのところを行き来していた子どもたちが徐々に距離を縮めてきて、話しかけてくるようになり、こちらも質問したりして、最後には会場リハ直前まで、蟻鱒鳶ルサッカーチームが子どもたちとサッカーをし始めたのだった。
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本番会場での音響チェック、立ち位置確認、進行確認などを経て、お試し演奏もして、その日はレモンサワーを我慢して解散。私は夜に別件リハがあり、家に帰ったのは12時過ぎだったけれど、もうひと息、最近中古のトランペットを入手した純さんのために譜起こしをしてから就寝。
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本番当日はうかうか、ふわふわしているうちにあっという間に一日が終わってしまったけれど、思うぞんぶんはしゃいだ実感がある。
X(ツイッター)に書いたこと
#蟻鱒鳶ル 参加イベント #wwfes2025 に
私は演奏に参加しましたが、映像作品も冒頭に流していただきました。携帯で撮影、無料アプリで編集、保存方法わからず、あれ以上の修正が不可能(作り直すしかない)というお粗末さですが、感慨深いです。
大阪の #カフェ放送てれれ という映像作品によって個人が表現する取り組み、youtube発生以前からの試みが去年再開され、なにか作ってみませんか?とお誘いいただいて、目の前の素材として蟻鱒鳶ルがあったのです。 蟻鱒鳶ル、岡さん、作業するみんながいて、練習に通う私がいて、たまたま何人かの友人が一日の作業「結果」を写真に納めている姿を見て、そういえば分厚い軍手して作業していて、自分のことは自分で撮影できないものね、だから私が練習の合間にちょっと記録をお手伝いしよう、という思いつきから そう思った時期は蟻鱒鳶ル撮影クルーが別の仕事に忙しく、誰も記録していない時期だったことも関係しています。毎週急ピッチで変化しているのに、記録できないのは惜しいと感じました。
それから私はやっぱり音楽の目的で通っていたから、工事の音に注目していて、地下にいることが多かったけど (去年は地下の工事は大体済んで、片付けも進んで、休憩スペースになっていた。コロナの頃はまだ地下の階段なく3階あたりで練習していた)工事の音で、今日は有馬さんとナカムラさんだ、とか、このトントントンはミチルくんかタイガかな、とかを当ててみたり、同じ溶接機も使う人によって違う音がする のを面白いなと思っていたから、録音もよくしていて、溶接機を伴奏にコルネットの曲を作ったりもした、ので、どうにか発表してみたい気持ちがありました。10分弱の映像に主に2024春から夏の写真と動画と録音をMIX、稚拙だけど一所懸命作ったのでお披露目できて嬉しいのでした。 な〜んてことを、イベントで質問されたらこたえようと漠然と思っていたけれど、全然時間が足りなかったので(それでよかった!昨日の一時間の舞台、良いプログラムだった)いま書いてみました。
今回はトークと言っても「岡が一人で20年頑張りました」というのではなく、100人を軽く超える歴代作業メンバーを全て取り上げることはできないけど、代表して、ごく最近の仕上げに携わった人たちを紹介します、という話があって、絞りに絞ってもあの人数。作業してない私が加わるのは申し訳ないことだ けれども、蟻鱒鳶ルに岡さんより先に暮らしていたネズミたちや毎朝やってくる雀たち、ほかにもいろんな生き物やたくさんの訪問者たち代表として参加しよう、と思ってそこに居てみました。一応石工としてお地蔵さんを作ったりもしたしネ。
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