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突然液体になったりできないから、学校は好きじゃなくて。 

友達や勉強は嫌いじゃないのに、学校という場所に行くのがすごく嫌だった。
登下校中に見かける、スーツを着た大人が羨ましかった。あの人たちはもう学校に行かなくていいし、会社に行くのしんどいだろうけど無給の学校の授業に比べたらマシなのかなって。考えが子どもらしく浅はかといえば浅はかよな。今なら大人が大変なのもわかるよ。それぞれ大変だよね。
だけどあの時は、通学路を抜け出す勇気も元気もなかった。大人はお金も車も責任も、自分で持っているから羨ましかった。

勉強は好きだったし、友達も好きだった。先生も別に嫌いじゃなかった。ハブられることもあったし理不尽な先生もいたけど、そういう状況と対峙すること自体が学校嫌いの直接的な原因ってわけじゃなかった。(先生が怒って授業ボイコットするようなムーブはだるすぎだけど!)

学校って、突然液体になったりできないじゃん!授業中突然教室から抜け出したり、叫び出したりしたら怒られるじゃん。

枠から外れたら評価をもらえなくて進学で困るし、小さな社会で何かやらかすのは怖いから、枠を外れないように注意を払いながら、「良き生徒」でいなくてはいけない感じ。
内申点とか単位ってなんだか人質みたいね。

私は親も先生だったから、親の教え子だったり同僚だったりした先生や生徒が絶対いる。○○先生の娘さんね〜!って仲良くしてくれて嬉しかったんだけどね!親が良い先生であればあるほど、なんかそのイメージ崩せない感じ。考えすぎなんだろうけどさ。
私が周囲の状況を気に出来すぎちゃうのも問題だったんだと思う。まあ私含め誰も悪くないんだけどさ。

その状況の、なんていうか、精神的な鎖みたいなものにずっと縛られて、自由にはいられなかった。
辛くても一応親の保護下だから、私一人で逃げられなかった。親は忙しそうで私どころではないし。三者面談だって、先生として黒板側に座ることの方が多かったんでしょどうせ!(恨み)
早く卒業式が来ることだけを永遠に願ってることしかできなかった。

楽しかったことが全くなかったわけでもなかったの。友達も先生も、絵や歌や勉強を褒めてくれたし、休み時間とか下校中ずっと喋っていられたし、授業中の先生の雑談を聞くのが好きだった。物事を学ぶのは楽しいし、その機会があるのはありがたいことだったよ!

集団生活をすることで社会性だったり、
人と支え合って生きてくことの楽しさとかだるさとか学べたりさ、そういうのも大事なんだろうさ。でもそのルールがある真意がどうかとかじゃなくて、ただ従うことだけを重視する感じとか、意味あんのかなって思ってた。
ボイコットする系の先生の顔色伺うとかさ、本当に必要な学びなのかな。

これは私の心の問題なのかもしれないけど、"なんか自由じゃないな"ってずっと辛かった。


でも今は自由!hoooooo〜!!
組織に属してそこに四六時中いることや、そのことで行動が制限されたり、心が自由じゃない状況が苦手なら、そうじゃない人生をこれから歩めばいいだけなのさ。
自分の心をよく見て、その心に従って生きるのが、私にとっての正解な人生。コンパスオブユアハートなのだ。
教えてくれてありがとう学校チャン!
あんたはもっと柔軟になりな!!

私は義務教育終わったし、大学という最後の檻から抜け出したからこう言えるけどさ。(大学行けてハピネスだったこともあるし学ぶ機会あるのは普通にありがたいことだけど、やっぱ学校って場所はしんどいわ)

これはただの愚痴なんだけど、
学校では確かに社会性を学んだけれど、社会性を学んだことによって、世界に対してちょっとだけ、いや結構神経質になった。代償が大きいよ。集団生活で培った社会性があれば、社会に出た時、他人に迷惑をかけることを避けられるかもしれない。でも幼い頃からそんな社会性だけが正しいとされると、自分のことを蔑ろにしてまで集団を優先したり、自分のことを大事にするってことを忘れちゃったりしない?ほんとに社会に出て必要な力を身につけたと言えるのかな。どちらかといえば力を奪われた感じがするよ。

今まさに学校に行かなきゃ行けない子で、もし同じ思いをしてる子がいたら、上に書いたみたいな悩みは本人に社会性ありすぎてるからこその弊害だろうし、いじめやハブられが発生してるとしたら、相手側が自分の物差しだけでしかものを見れなくて攻撃してきてるだけで、君自身は何も悪くないし、他の何らかの理由で学校に行けなくてものんびり生きりゃいいと私は思うし。

今逃げ道が見つからなくても、しんどさを緩和させる方法はある。助けてくれるのは共感してくれる歌や創作かもしれないし、悟りを開いた先人たちが示す、物事への解釈かもしれない。

もしかしたら、私が感じていた鎖は自分で作っていたのかもしれなくて、学校と言う場所はその鎖を作る、いち材料に過ぎなかったのかもしれない。でも小さい頃はそのことに気付けなかった。気付けないものだと思う。
逃げ道見つける以前に、しんどい理由に気づけなくても、「なんか辛い」って感情があるのは確実で、その蓄積で自分にダメージがかかってるのは違いない。
だから、いくら他人が厳しくても自分に厳しく出来ちゃう人でも、これは「甘え」という言葉で片付けられるものじゃないってことだけ覚えといてほしい。私も覚えとこ。

学校が悪いんでもなくて、自分が悪いんでもなくて、本人の地頭や性格よりも学歴に固執しすぎる社会の雰囲気とか、全体として学校教育の雰囲気がもう少し変われば一番良いなと私は思うんだけど、それは大人の仕事だよ。

時々液体になりながら、小川の流れのように緩やかに生きてこ。ほんとうは堰き止めるものは何もないのさ。

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