人体という檻の中で
私はそれなりに感覚過敏であるらしい。
砂の音が耳をつんざくように鋭利に感じたり、触った感触が苦手だと、脳みそをかき混ぜられるかのような気持ち悪さと、思考にもやがかかるような感覚がある。
いろんな音が同時に入って来る賑やかなフードコートの中で友達の声を聞き取ることができないし、色とりどりの商品が並ぶコンビニで視覚の情報量に圧倒されてしまって、何も買えなかったりする。
ゴッホの画集を眺めながら、耳を切ってみちゃったらどうなるかなとちょっと考えてみるけど、もしそれで聴覚がなくなったらその分おそらく視覚や触覚が鋭敏になってしまう。
場所が移るだけで苦しみは無くならないんだろうな。
ちょっとトピックが変わるんだけど、私はあまりに生理が重くて、月経困難症の対処でピル飲み始めたけど副作用なのか抑うつが重いし、子宮取ったとしても骨粗鬆症のリスク上がるデメリットがあるって話聞いて、なんとなく、「どこにも逃げ場がないな」と思った。
これは愚痴なんだけど、PMSやら生理やら、1ヶ月の中で元気な時期が10日間くらいしかないのって普通におかしいよな。だる。
てか人体ってめっちゃ檻じゃない?
この人体のせいで不自由なこと多すぎる。
私が感覚や痛みや鬱から逃れられて本当に自由になれるときは、肉体が朽ちるときのその一瞬だけなのかもな。
なんかこんなこと言ったら怒られそうだけど、「人間は誰しも罪深い」みたいな教えって、これを説いた本人が人間として暮らしてみて「この身体めっちゃ使いづら〜!不自由〜!まるで重罪を犯して牢獄に入ってるみたいじゃん!!!」ってなって思いついたのかと思う。
それくらい檻。
正直早く自由になりたいけど、安全に確実に"自由になる方法"を、生きてる人間は誰も知らないから、しょうがないので自由になるまで大好きな絵を描いて暇潰して過ごそうと思う。
"大変ありがたいことに"この身体には鋭敏な感覚が備わっているので、感受性豊かに何かを創るのには便利な設計ではあるしね。
まあ今日はまだ何もやる気が出ないから檻の中でゴロゴロしてようかな。