見出し画像

「気持ち良い」とはなにか

12歳離れた姉がいます。
彼女は、特段有名人でもなんでもないし、ものすごく稼いでるわけでもない。
でも感性がずば抜けて鋭い。勘も鋭いです。

彼女が12歳の時に、私が生まれたわけで、
私のオムツ替え、爪切り、入浴、保育園の送り迎え、そして小学校の授業参観もほぼ全て、姉がしてくれていました。

なので、私にとっては、第二の母です。

そんな人が発する言葉が、強烈に印象に残る、ということは、誰の目にも明らかでしょう。

タイトルの「気持ち良い」については、私の人生において、初めて聞いたのは彼女の口からでした。私は当時10歳なのか、どうだったのか。

「気持ち良い」「気分がいい」「好き」「これは嫌だ」「気持ち悪い」

そういった、揺れ動く感覚に沿っては生活と人生は回らないのだから、その感覚は全て、閉じよ。

それは、私の本当の母が、当時、守り抜いていた無意識の価値観で。
家の中は、「規律」「ルール」「やらなければならないこと」「義務」そうゆうことで満たされていたように感じます。

もちろん他にも豊かなことってあったと思うのだけど
私にとっては、そうゆう「縛り」が強く感じた、ということ。


ある日、一人暮らしを始めた、姉が言ったのです。

「そうじをすると気持ち良いからね。」

「綺麗になった部屋で、お茶を淹れて飲むの。気持ち良いでしょう。」


え?


そうじってのは、毎週日曜日に家族総出でやって
そのあとに、みんなでコーヒー豆を挽くところからやって、飲む、のんびりするってのはやってて、、それは楽しかったけれど・・・


「気持ちよい」


に、なるの?

ああ、わからない、
なんだ、その気持ちよさって
なんだか、すごく私の知ってる感覚とは違う気がする


今、本人に言えば、それは綺麗な部屋の方が、気持ち良いでしょう。気分良いでしょう。というだろうけれど、


なんだか、その響きと
あの時の、響は、なんだか違う気がする


たぶん、
「やらなくてはいけないから、そうじをする」

のではなくて

「自分が気持ち良いから、
自分がしたいから、
自分を喜ばせるために
喜んでそうじをする」

その違いなのかなと思います。


そうやって、そうじをした時
そのあとに、とびきり美味しいお茶を
お気に入りのカップでゆっくりのんびり飲むんだ〜♡

と、イメージを持ちながら、そうじをする時


そのそうじという単調な作業さえも
気持ちよく、心地よい営みになるのでしょう


私は、その感覚、プロセス、イメージに
ある種の「エロティシズム」を感じたの。

例えば、VIOの処理をするとか
お肌を綺麗にしておくとか
着心地の良い服を着るとか
素敵な香りをまとうとか
心も目満たされる食事をするとか

そうゆうことは、
誰かに服を脱がせてもらう時に、その生地が肌を滑っていく感覚
肌を合わせた時にピタッとする時の気持ち良さ
もしかしたら、その人が、香りに気がついた時に、いいなって思ってくれるかな、と企む気持ち
美味しいものを食べて、満たされたあとに、抱き合った時の至福感
さっきまで、美味しいものを食べていた唇どうしが、侵食しあう感じ

そうゆうことをイメージすると
なんだか、全てがエロティックな企みに思えてくる




そうゆう「色気のある、企み、気持ち良さ」を大切にすることって
すごく魅力的だし、イメージを掻き立てて、元気に生きて行くための秘訣なんじゃないかなあって思います。


それを
彼女は、自分自身のために、企んで、行動していた
その、日常の細部にわたって、気持ちよさを行き渡らせている感性の美しさ
そこに、衝撃を受けた


そうゆうことなんだろうな、と思います。


皆さんは、自分のためだけの、気持ち良さ、
追求していますか?


一人でも、エロティックに生きていたら
それって、いつでも、どこでも、気持ちよくなれることだよね


自分のからだに、官能できる、わたしでいたい。

いいなと思ったら応援しよう!

AiUchyu...
よろしければ、ぜひサポートをお願いいたします! いただいたご支援は、さらなるアウトプットのための、素敵なインプットのために使わせていただきます✨✨✨