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20億円現場所長への道 #3|専門学校時代で築いた土台
冒頭
次は専門学校時代の物語です。
高校3年からバイトを始め、専門学校に
入学してからは掛け持ちで
バイトに明け暮れ社会の厳しさを知った日々。
そして、人生で初めての"別れ"を経験し、
2級建築士に挑む。
激動の3年間のストーリー。
それでは今宵も、ごゆるりとー。
①バイトで学んだ社会の厳しさ
私は高校3年から家の近くの飲食店でバイトを始めました。
初めてのバイトで、右も左もわからない状態で、まずはキッチンでの皿洗いから始まり、それから徐々に出来る仕事が増えていきました。
それから専門学校に入ってからは、掛け持ちで映画館でバイトをし、主にフードコートの担当として、お客様に美味しいポップコーンを食べてもらいたい!!!そんな気持ちでポップコーンをつくりながら日々バイトに明け暮れてました。
自分で言うのもあれだが、私が作るポップコーンは塩加減が絶妙で常に塩の加減にはこだわりを持って作り、時には他のスタッフから「kent@roさんがつくるポップコーンが一番上手い!」と言われたこともあるくらいだ。
※本音は知らないが。。。
当時は週6〜7でバイトをしていて自宅から専門学校まで片道1時間半くらいはかかるので、毎日帰りのチャイムが鳴ると同時に猛ダッシュで駅に向かい、ギリギリの電車に乗っていた。
変な正義感で、"自分がいないとお店は回らない!"とバイトリーダー風の雰囲気だけは一丁前に醸し出してた。
でも実際には誰か1人がいなくても"組織は回る"ということを学んだ。大切なのは、自分がいなくても回る仕組みを作ることだった。
そこである日、あの出来事が起こった。
高校から働いている飲食店でいつものようにバイトをしていた。
そして、ある1人の料理人と2人きりの空間でオープン前の準備をしていたが、そこで突然料理人の人から包丁を向けられ、首の近くまで突きつけられた。
正直あの時は「マジで殺される」そう私は覚悟していた。
なぜそんなことが起きたのか?
それはその日だけではなく、日常茶飯事で、その料理人の気ままで他のスタッフもみんな振り回されていました。
オーダーが入りすぎて手が回らないと不機嫌になり、誰かに八つ当たりをする。
自分の思った通りに他のスタッフが動けないとそれだけでも不機嫌になり、無視や暴言などを繰り返していた。※現在はその人は辞めて何しているかもわからない
私は社会に出るとこんなにも理不尽で変わった人がいるのかと思い、正直社会人になってからもこのような人と働くのは絶対に嫌だなと強く思い、
勤めるなら人間性が良く、誠実な会社がいいな〜と漠然と思っていた。
②じいちゃんとの別れ
私は実家で両親、姉弟、父方の祖父母と暮らしていた。
母方のじいちゃんは私が1歳になる前に癌で亡くなってしまい、写真などでしか見たことがなかった。
実家に一緒に住んでいるじいちゃんとは小学校の時によく将棋をして、ハンデをもらっても勝つことは出来なかった。
じいちゃんは自分の個人の会社を立ち上げ、
機械の図面屋として家で仕事をしており、建築と機械と違いはあるが、図面作成や、自分で会社を立ち上げてやっていきたいという精神はじいちゃん譲りなのかもしれない。
私が高校の時も、雨が降って自転車で駅まで行くのが困難な時はよく車で送り迎えしてくれた。
高校の時はその車の中が唯一のコミニュケーションをとる場になっていた。
そして、元々体調はあまり良くなかったが、
私が専門2年の4月に、体調が悪化して、
私が映画館でバイトしている最中に他界しました。
その時は、バイトの休憩中に訃報を知って、
早く帰りたいと言う気持ちの一心だった。
バイト先から家までの道、涙で前が見えなかった。
いつも送り迎えしてくれたじいちゃんの車の助手席にはもう座ることが出来ない。
"もっと話せばよかった"とそう思いながら泣きながら自転車を漕いで帰った。
初めて死というものと向き合い、自分の力ではどうすることもできない無力さ。
そして、亡くなったあとでは何もしてあげることもできない虚しさなど、人として成長しないといけないと強く感じた。
③2級建築士との戦い
専門学校3年目、遂に2級建築士に挑戦する時期が来た。
2級建築士は、学科と製図と2段階に分かれており、7月に学科、受かればそのまま9月に製図試験がある。
7月の学科から製図までは約2ヶ月という非常にタイトなスケジュールで勉強をしないといけない。
バイトに明け暮れていた私もさすがに3年目の4月から9月まではバイトを控えた。
7月、いよいよ学科試験。過去問を解きまくり、知識を叩き込む日々。
そして学科は突破。次は"最後の戦い"である製図試験が待っていた。
正直この時も色々な感情があった。
3年目に上がった学生は基本2級建築士を受けるためにきているので、当然学科を受験する。
ただ、試験なのでみんなが受かるわけではないが、学科は割とほぼ合格していた。
学科を勝ち上がった者だけが製図で戦う。
仲間であり、全員ライバル。
製図は時間の中で課題の読み取りからプランニング、そして平面や断面など書き上げなければならない。
詰まったら負け、焦ったら負け、チェック漏れがあったら負け。ペンを走らせ、時間との戦いの末、合格した!
まずは1つの目標にしていた2級建築士ということもあり、めちゃくちゃ嬉しかった!
これで夢に一歩近づいた感じがした。
それから専門学校を卒業し、遂に念願であった、現場監督としての社会人編へと突入する。
そこで待ち構えていたのは、キラキラした社会人生活ではなく、社会の厳しさ、現場の厳しさが入り混じった日々だった...
ー次回に続くー