本当の豊かさを考え

東日本大震災は移住や自給自足を考える大きなきっかけだったのですが、もうひとつ大きな理由があります。それは「お金」について考えたことからです。

東京に住んでいると、欲しいものがあれば近くにお店があってすぐ買えて、便利で楽しいのですが、何をするのにもお金がかかります。毎月家賃を払い、食べるためにもお金が必要で、おしゃれをしたり、趣味があれば、さらにたくさんのお金が必要になります。

今の時代、安定した職業なんてないのかもしれませんが、僕の場合は特に収入が不安定な職業なため、「何歳まで稼ぐことが出来るだろう?」、「稼げたとしても生きていくだけの生活費を稼ぐために何歳まで働き続けなければいけないのだろう?」という不安がありました。頑張って働いて稼いでも、どんどん消えていくので、不安が常に後ろを追いかけてくるような感覚です。その不安に追いつかれないように「もっと稼がなきゃ!」という思考が頭のどこかに常にありました。

もし、僕がお金をバンバン稼いでいたら、そんな不安はなかったのかもしれません。だけど、僕はそうじゃなかった。若い頃はバイトをしながらダンサーの夢を追いかけていて、したくもないバイトでストレスもたまるから遊ぶのにもお金を使ってしまう。少し収入の多い月には欲しい服を買ったり、自分を着飾ることに使っているうちに、いつの間にあれもこれもと、“もっともっと”が止まらなくなり、お金を使い果たしてしまう。貯金なんてありませんでした。そもそもそんなに稼いでいない上に、ある分だけ使うのでお金がまたたく間になくなり、次の給料日までどう乗り切るかを考えていました。

経済大国の日本の首都で暮らし、豊かになるどころか、大量生産、大量消費の渦のなかで、心がすり減り、自分が消費されているようでした。

僕だけではありません。貨幣交換は、物々交換の不便を”便利にするため”に人間が生み出したシステムのはずなのに、僕と同じようにお金で苦しんでいる人が現代にはたくさんいるんです。

この世に生まれ、気づいたら当たり前のようにお金があり、いつしかお金を稼ぐことが当たり前になっている。しかも多くの人がそれに疑問を持っていません。便利な交換ツールであることは間違いないのですが、都市部にいると“お金がないと生きていけない”ので、生きるためにお金を稼ぎ、いい生活を送るためにさらに頑張って稼ぎます。マイホームを買えば長い年月をかけてローンを払い続けなければいけなくなり、お金に縛られ、お金を稼ぐことが人生の目的のようになっていく。病気なんてしたら大変です。今は価値観が少し変わってきているようですが、ほんの数年前までは、多くの人にとって、お金をどれだけ持ってるかが豊かさの指標になっていたように思います。

お金は必要だけど、それが目標では幸せになれない。


僕は幸せに生きたかった。今までの意識を切り替え、新たな価値観を模索しました。いろんな本を読み、どうやったら幸せになれるのか具体的な答えを探していました。

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ムヒカ前ウルグアイ大統領の言葉はすごく響きました。


東日本大震災のあとにはブータンのワンチュク国王が来日し、注目された国民総幸福量(GNH)という考え方も、僕には大きな出会いでした。するすると同じような価値観の人の考えに触れ、藻谷浩介さんの「里山資本主義」、そして髙坂勝さんの「ダウンシフターズ 減速して自由に生きる」に出会いました。

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自分で食べる分の作物を育てれば、その分稼がなくたって生きていける。できた時間で好きなことをする。

導かれるように髙坂さんが東京の池袋で営んでいたオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を訪れ、「まだ田んぼの空きあるよ」という誘惑に誘われ、あれよあれよと田んぼをやることに。それが2015年のことでした。

田植えから稲刈りまで月に2回くらいのペースで東京から匝瑳市に通い、生きものがたくさん生きる田んぼのなかで生物多様性を肌で感じ、泥でデトックス。気持ちよかった。念願の収穫で感じたお米の重みは喜びそのものでした。

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食べるものさえ自分でつくれれば、とりあえず生きていける。

作業でかがめ続けた腰はたしかにきつかったけど、でも思ったより簡単にお米がつくれた…。主食であるお米をつくれたのは本当に大きな自信になりました。

次回につづく。今回もまだ田舎暮らしには到達できませんでした…。

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