救済

合宿中、とある事があった。
大昔の私だったら、この人が去ってしまったのは、
私が無価値だからだ、とか
この人が向かっていった先のほうが魅力的だからだ、
あの人にこんなことをされるのは私がだめな人間だからだ、
みたいなものを頭の中でこねくり回して、
浮上するのに時間がかかるような事象があった。

その時はツルッと通り過ぎていて、何も感じていなかったのが、
帰ってきてからモヤモヤとしはじめて、
昨日一日、その件についてかなりモヤモヤしていた。
仕事が終わってお風呂に入ろうとした時、
これはツール案件だったか!!となり、
勉強会が始まるまでの時間、
晩ごはんを食べながら即興で準備ワークをやることにした。

確かにこの事柄は昔の私だったらリアルに感じ、
無価値感を強く強く感じて、
ああすればよかったこうすればよかったと思うような事象だった。
山以降、そういうふうなことはあまりやらなくなっていたし、
気にもしなくなっていた。
だけど、そういう傾向はなくなってしまったのではなく、
単にやらなくなっていただけ。
でも残っていた。

で、ワークをやってみると、
その後に起こった事柄で救済されていたことに気がついた。
特別性には特別性で。
しかも、仲間という私にとっては安心できるもので。

なんだ、私は救われていたのか、とわかり、
勉強会も始まるのでツールまではいかないで
ワークまでで留めることにした。

今はあの時起こった事柄についてはどうでも良くなっている。
もしかしたらまた似たようなシチュエーションが起こって揺さぶられるかもしれない。
でも、今まで起こってきたことを思い出すと、
確かに特別性には特別性で救済されてきていたことを思い出した。
(なぜか生徒会絡みの人たちとつるむようになったり、山でも都連盟理事や救助隊関連の人たちと親しくなって岩や冬山を一緒に登るといったようなこと。今回は道場主や先生たち、道場主の娘さんたちだったが)

だから、安心していい、そう感じた。



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