
Photo by
mityururu
料理ファンクション
この土日は料理ファンクションをしていた。
今日は叔父の告別式だというのに、
それをすっぽかして何やってんだとまわりから言われそうだけど、
午後からかかってきた兄からの電話も父からの電話もことごとくシカトした。
とりあえず香典だけは父宛に送って、
簡単なメモ書きで、
「精神的に落ち込みがひどくて顔を合わせる気になれません」
と書いた紙だけを同封した。
水曜日に送って翌日には届いて(さすが政令都市だな)、
速攻父から電話が来たがシカトした。
顔を合わせなければ、話ならできるだろという考えか?
とはいえ、なんとなく料理ファンクションをやる感じがしたので、
名乗りをあげたけど、やって良かったと思う。
メンバーに合わせて肉の量を計算したり、
調味料の量を考えたり、
一緒に取り組む兄弟たちと打ち合わせやメッセンジャーでのやり取りをした。
土曜に歩いて片道30分くらいのところにある肉に特化したスーパーに行き、
鶏肉をキロ単位で購入したり、
ついでに1週間分くらいの自分のおかずの買い出しもした。
その間は、父や兄に対する憎悪や罪悪感に囚われることもなく、
平安でいられた。
ずうっと聖霊に平安を求めた。
最近、久しぶりにまた本を読めるようになって、
いつだったかのりこさんが勧めていた「覚醒の炎」を読んでいる。
こうした変化も起きているけど、
それと同時に自我の抵抗もあって、
聖霊に平安を求められるようになったのを、
私は聖霊に任せられるのは心の平安だけで、
それ以外の物質的な充足は自分がやると思っている。
聖霊には物質的な面で私を満たすことはできないでしょ、
とも思っている。
そのことに気がついた。