わからないことを受け入れる
先日、初めての昇級審査を受けた。
ある技を少し間違いかけて、
もしかしたら減点されるかもしれないと思っていたが、
先生にやり直しを言われたものの、
やり直しをしてリカバリーができていたならそのミスも全く問題にならず、
無事に7級を取得することができた。
この日を迎える数ヵ月前から、
稽古後の時間に受け身と膝行の練習をし続けて、
時折先輩方のチェックも入れてもらい、
審査前のお稽古には先輩方に課題の練習に付き合ってもらったりしていた。
審査直前のお稽古のあと、
たまたま黒帯の先輩の男性(私より年下だけど)と途中まで一緒に帰ることがあって、
その方から、先生たちとの飲み会のときに私のことが話題にのぼっていたという話をしてくれた。
な、な、なんだろうな!?それは!?と思ったりしたけど、
どうやら地道な練習を評価してくれていたらしい。
そのこともあってか、昨日お稽古が始まる前、
突然年配の先輩から、昇級審査どうだった?と聞かれ、
無事に受かることができたことを報告した。
そんなに何度も一緒に組んでいない方なのに、
私のことを認識してくださっていた。
そしてお稽古のあと、さて膝行の練習しよっかーと構えようとしたら、
先生から呼ばれて、お互いに礼をして、
いつもの受け身の練習でもある呼吸投げを受けることになった。
10回受け身をしたら、みんなの前で私が7級を取得したことを発表してくれて、
皆さんが拍手をしてくれた。
そして、女性の黒帯の先輩や高校生の先輩が同じく呼吸投げを私に10回ずつやってくれて祝福してくれた。
この時初めて計30回連続受け身をすることができた。
(これまでは20回連続がやっとこさだった)
自分が「わからないこと」を受け入れること、自覚することは、
山や岩をやってたときに受け入れざるを得ないから(命の危険もあるので)、
後天的に受け入れられるようになったものだけど、
今回改めて「わからないこと」を受け入れ自覚してみて、
それを謙虚に学ぶ、諦めない、間違っても諦めない、
その結果受け取ることができるのかもしれないと感じた。
でも、家に帰って、眠っていたら突然なにかジワジワきて、
「ああ、私、こんなふうにみんなから祝福されるのって嬉しかったんだなぁ」
と感じた。
家族との関係で怒られないで済むことが「褒められていること」として認識させられてきたので、
家族の気分がどっちにコマが振られるのかと平常心で耐える必要があったのだけど、
こんな風に私に分かる形で褒められたかったし、祝福されたかったんだ。
今、これを書いてて泣けてしまった。
先生が最近常々「受け身がうまくなったなぁ」と褒めてくださっていたのに、
なかなか受け入れられなかった。
でも、自分で自分を評価できない代わりに、
こういう形で聖霊からメッセージをくれていたんだ。
「よくやってるね」って。
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