コミュニケーション
この間の土曜、初めて髪を染めに行ってきた。
(真我なるハートでのカースティンたちのリトリートが始まる前に、それに参加するマイティコンパニオンたちに、私が髪を染めることについてどう感じるか、について話はした)
予約をするときに初めて髪を染めることと、
肌が弱いみたいなので、
そのへんの配慮をお願いしますとのことを明記して予約した。
(研修中の店員の方が早く予約が取れるが、私がド素人なので店長に予約した)
初めて髪を染めるので、
髪を染め慣れている人が知っていて当然のことがわからないし、知らない。
そのため、普通のヘアカラーと白髪染めとヘナカラー、ヘアマニキュアの違い自体がわからない。
いちいち説明を求める私に店長がいらついている感じ。
わからなさすぎて、もしかして髪を染めるのに脱色という工程が必要なのでしょうか?と聞く私に
「脱色!!??」と素っ頓狂な声を上げる店長にド素人の私のほうが困ってしまった。
「何もかにもわからないので、想像して」という枕詞をつけるしかない。
とりあえず髪はきれいに染まって満足して帰ったが、
なにか「またこの店に行かないと」みたいな感覚が湧いていて、
別にここじゃなくてもいいのに、この店にこだわるんだろう?
なにか罪悪感のような、怒りのような、感覚がある。
素人なのに、ヘアカラーについて知ってて当然という店長の態度を変えてもらいたいという感覚がある。
これがもしかしたらのりこさんの言う「勝ちたい」なのかもしれない。
今ではこの肉体レベルではコミュニケーションを取れるようになったと思うが、
小さい頃の私は言葉の発達がかなり遅くて、
よく、家族や友達から、「何を言いたいのかわからない」と言われていた。
そのため、意思疎通ができるようにならないと!!という強迫観念があるのかもしれない。
特に家族とのコミュニケーションが難しく、
父にわからないことを聞いても、
「辞書で調べろ」「俺には関係ない」「(知っていても)俺にはわからない」と言われる。
兄があることを父に聞いて教えてもらったことを知って、
私も教えてもらおうと父に聞いても、
「辞書で調べろ」「俺には関係ない」「(知っていても)俺にはわからない」…。
仕方ないから、自力で調べたり、友人に頼ると、
「なんで俺に聞かないんだ」と怒られる。
母は母で、自分のことでいっぱいいっぱい。
父の一挙一投足にオロオロか、顔色を見るのに忙しい。
私を姑の生まれ変わりだと思い込んでいたので、
私に付きまとわれるのを母は嫌がる。
兄からは暴力。以上。
私には「神なんか信頼できない」というのが根底にあるからこそ
こういうのを見せられた、と言われているが、
まだ私は良くわかっていない。
でも、小学4年のあのときに「神なんか信頼できない」と思った記憶は確かにある。
ただ、コミュニケーション不足であることはわかった。
もう家族とはコミュニケーションはしなくていいやと思っているので、
その代わりでもこの店長との関係性を改善したかった、
そういう思いはある。
「神なんか信頼できない」という思いがあるからこそ、
この店長とのコミュニケーションが破綻していたとも言える。
あと「神なんか信頼できない」ではなく、
「神を信頼したい」し、「神は信頼できる」と思いたい。
そのためにもコミュニケーションは必要なんだろうと思う。