好きになれば許してもらえる

そっか、父が「やれ」と言っているものを「好き」になって、
「やれば」許してもらえると思ったんだ、私は。

だから、その結果、山(クライミング)をやるようになったり、
カメラをやるようになる土台になっていたんだ。
父も若い頃、山、縦走をやっていたし、
カメラもやっていたから。

ここのところ、股関節痛と猫背の矯正からカイロプラクティックを受けているのだけど、
その先生からカイロを施術する人になるようしつこく言われていて、
この間も私が自分のやりたいことに取り組んでいることに対し、
先生が「もう少し落ち着いてほしいんだけど」と言ったことにモヤモヤした。
つまりカイロを施術する人になることが「正しい生き方」のように言われたように感じた。
あれから、このことにいらだちを感じていたが、
ついこの間、これまでこの先生に限らず、
力で私を思いの通りに動かそうとする人が必ず現れていることに気がついた。
それがたとえ友人であっても。
子供のうちはわからないから、頑張って言いなりになろうとしたり、
叱られたり、叱責されて、罪悪感に苦しむことを繰り返していた。
大人になっても、山を始めるまでは言いなりになろうと頑張り続けてきたが、
山をやるようになってからは、罪悪感にかられるものの、
断ることもあった。
でもやはり罪悪感に苛まされることはずっと続いた。

この「気がついた時」、同時にふと、
このカイロの先生のところに通うのは、今月いっぱい、
というインスピレーションが浮かんだ。
「あ、そうしよう!!」って感じた。
カイロプラクティック事態はとてもいい体験で、
長いこと痛かった股関節痛がだいぶ緩和してきたし、
ひどい猫背もだいぶ良くなってきたことを実感している。

でも、施術をする人になるよう責められながら通うのは違う。
私が求めていたのは、股関節痛が良くなること、
猫背が良くなること。
そもそも、仕事のパフォーマンスを上げるためと、
(3DCGもデスクワークなのでこれのパフォーマンスも)
合気道の大会に参加した時の動画で、
あきらかにあの猫背は私!!って気づいたときに姿勢が良ければ、と思ったこと。
この2つがメイン。
あくまでカイロはこれらが快適にできるようになるためのフォロー的な立場。
だから施術をする人になるようゴリ押しされることに、
フォローが出しゃばるな!!ってムカついてた。
でも違う。
私のとてつもない罪悪感、無価値感が原因。

あの先生が、あの友人が、父が、と指差したい私がいるけれど、
その相手のゴリ押しの強さそのものが
私のとてつもない罪悪感、無価値感の大きさを表している。
だからもう、断ること、関わりを終わりにすること、
それに罪悪感を持たなくていい。
形のレベルではもっと通いやすいカイロを探せばいいのだから。
(場所的にもアクセスが悪いし、平日は夕方5時まで。土曜も5時まで。日曜祝日は休みなので、腕の良いところが他にあればここに拘る必要はない)

とりあえず私には罪悪感を抱かずに済むような「理由」が
今のところ使わずにはいられないので、
そのいいネタ、この先生を引っ込ませられると感じる理由を用意する。



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