つながることとファンクション
今日の仕事をしながら聞いたのは、この間行われた4月6日の勉強会。
この中で、みわのさんのパート部分で、
やっと「なぜマイティコンパニオンと繋がる必要があるのか」
「なぜファンクションをする必要があるのか」ということに
納得がいったというか、腑に落ちた感じがした。
よくこの二つをすることについて、
「浄化されるため」と言われているけれど、
全くもって納得ができていなかった。
「なぜ??」とずっと思っていた。
この日の勉強会を聞くのは確か3回目になるはずだけど、
心に腑に落ちるって、心がねを上げるというか、
心がへそ天になるしかないと腹括るを決心しないとわかってこないんだと感じた。
私たちって本当に変化したくないって思っているんだ。
マインドレベルの私が受け入れられるレベルの変化ではダメなんだ。
だからクライミングをやっていた時も、
絶壁の30cm足らずの狭い岩棚で
チョークや砂や泥で汚れた手のままで行動食を指先でつまんで食べたりしても、
トイレ掃除で、去年から試しに始めた洋式トイレの水が溜まっているところに
素手で直に手を突っ込んで古布で磨き込むことをしていても、
私にはほとんど「恐れに触れることができなかった」
(もちろん磨き終わったら石鹸でよく手を洗っているし、多少の「汚れる」みたいなのは感じるけど)
そうではなくて、私にとって、
「嫌だなー」と思い続けてきた人との関わり、
特にともにコースを学んでいるけれど、
キラキラ系のコース学習者じゃなくて、
血反吐吐く覚悟を決めているマイティコンパニオンと関わることなんだな。
「分離」という今では忘れ去ってしまって
わからなくなってしまったとてつもない恐怖を
また起こさせてしまうんじゃないかというその恐れから、
「変化」をものすごく恐れている。
「変化」したくないって思っているんだ。
だから「私」というマインドは
マイティコンパニオンとあまり繋がろうとしてこなかったんだ。
また起こさせてしまうんじゃないかというその恐れから、
トラブルが起きた時に、
「まただ!!」「また起こった!!」と恐怖を掴んでしまっているんだ。
例の仕事での失敗以降、
ここのところ、前社長との関係性が悪化してしまっているのではという恐れを感じ続けていたのだけど、
それはこういうことだったのかも。
しのごの言わんとマイティコンパニオンと繋がって話をしないとだね。
※さとみさんの昨日かな??更新されたブログを読んでいて、マイティコンパニオンとの軋轢って軋轢じゃないのかもなと今朝思ったりした。