フランスでアラブな会社とバトッた話。その③
もう今年の春の話だからすっかり私の心の傷は癒えていると思っていたが、いざ、こうやって振り返ってみるとまた、会社に対しての恨みつらみが堰を切って怒涛のように溢れてきて負の空気に包まれる。私も嫌な人間だなぁと思ってしまう。
これでとりあえず、バトッた話は一旦終わりです。
フランスのお役所からの返事が来たらまたここで結果をお話しすると思うけど、それはいつになることやら。
しかし、この最後の話は一番つらくて、書くのにも時間がかかってしまった。
前回の話では、会社と協議解雇することに決まって、お役所が審査する15日間を私は有給休暇をすべて使って、二度と会社に戻ることはないと思っていた。(前回の話はここ)
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15日間、約2週間だ。最初の1週間はストレスから解放されて若干、気楽にすごせていたのだが、2週目に入っても会社から一切連絡がなく、嫌な予感がよぎりまくる・・・。
例の書類を役所に提出したのかどうか、会社に確認すると、何日か待った後に、書類はすでに送ったと返事がきたので、その書類のコピーをメールに添付して送って欲しいと頼んでも送ってくれない。
仕方がなく、それを扱っている役所に確認のため出向くことにした。(フランスのその部門のお役所に電話をしてもほぼ100パー電話はつながらない。)
役所に行って担当者に私の状況を説明して、協議解雇の書類を確認してもらったが、役所には届いていないから、協議解雇は成立しないという衝撃的な返答だった。
この会社は書類すら役所に提出しておらず、私にウソをついていたのだ。
ふたたび絶望・・・
つまり、私はまたあの会社に戻らなくてはいけない・・・
私は役所に書類が届いていないよ。どうなってるの?!!って会社にメールをすると、
経営者Nから、じゃあ明日から出勤だね。準備できてる?と返事がきた。
じゃあ、じゃねーよ。
準備できてる?ってめっちゃ喧嘩売ってるし。
私が仕事に来るはずがないと高をくくって、そんなこと言っちゃってるのが明らかだった。
実際に、香港人のYにはちょっと脅しただけで、Yは会社に来なくなっちゃったし、私にもそれが通じると思っているんだろう。
もうあの会社に行かなくて良いと思っていたのに、また行かなくてはいけないという現実は、私の胃をチクチク刺激してきた。
でも、あいつらと最後まで闘うんだと自分に言い聞かせて、重いペダルを漕いで仕事場に向かった。
経営者Nが決めた14時出勤は相変わらず有効なので、その時間に向かう。
14時前に仕事場に到着して入ろうとするが扉が開かない。ベルも押すが返答がない。
あれ?っと思って経営者Nに電話をかけようとしたら、本人が出てきてこう言った。
今日はラボはお休みだから入れません。仕事なら明日来てね。
いや、あなたが明日から仕事って言ったのだから、そんなのおかしい!出勤扱いにしてください。そして、協議解雇はどうなったの?と言ったら、
私たちだってあなたと仕事したくありません。そんなに仕事したければ一日そこの扉の前で突っ立ってたら?
と言い放ってがっつり扉を閉められてしまった。
唖然・・
覚悟を決めて出勤したらこれですよ。
人生そううまくはいかないんだね。
とりあえず、この件はメールと書留で抗議して、その日は出勤扱いにしてもらう。
そして訴える準備もできたので、その日の夜に会社に訴訟の書類を添付して、協議解雇をしなければ訴える準備は整っている旨をメールした。
いつもは返事はすぐに来ないのに、訴訟を本気で起こすとわかったとたんすぐに返事が来て、明日協議解雇にサインすると言われた。
翌日、私は協議解雇が受理される15日間は出勤しないで済むように経営者Nと話し合う予定で緊張していた。
会社に着くと、Nを含めた事務所の人たち3人に囲まれた。
威圧感にびびる。
正式な協議解雇の用紙はプリントアウトしてあり、Nはこれにサインをするから、訴訟はしないという紙にもサインしてくれと言ってきた。
私は役所の許可が下りる15日間は出勤したくないことを交渉したが、Nは許してくれなかった。この会社も人手が足りなくて、シェフTや同僚のSは朝9時から出勤して夜22時まで働いているんだから、私も働けと。
でも私はもう二度と彼らと一緒に働きたくはなかった。
当たり前だ。どれだけ私が病んだかわかっているのか。
またここで働かなくてはいけないのかと考えると吐き気がしてきた。
とりあえず、協議解雇の書類にはサインをし、夫に電話すると言ってその場を離れて、夫に電話した。
私はサインをしたが、その書類を会社が役所に本当に提出するか疑っていたし、私が訴訟を起こさないという書類にサインをするのも嫌だったし、また15日ものあいだここで働くのも嫌だったので、ただただその不安を夫に伝えた。
夫が私がサインした書類を取りに来てくれると言ってくれた。自分たちでその用紙を出すこともできるそうだ。
これで一安心だ。この書類が破棄されることはなくなる。
夫を待っている間、Nの下っ端のLは私にしつこくほかの書類にサインをしろと迫ってきた。最初の怒り口調と一変して、顔には気持ち悪い笑みが浮かんでいる。
さっきから胃がチクチク痛み出して気持ち悪くなっていたのもあり、腹痛を訴えて椅子に座って夫が来るのを待った。
またここで働かなくてはいけないと思うと本当に吐きそうで、涙が出てきた。
Lは腹痛なら救急車呼ぼうか?と言ってきた。
私はびっくりして、いや、たぶん大丈夫だけどもうちょっと休ませてくれないか、と頼んだ。
そうしたら、LはNと相談して、本当に電話して救急車を呼んだ。
私は唖然とした。フランスってこんなに簡単に救急車呼んでいいの?
Lは電話を切った後にNと一緒にゲラゲラと笑っている。
あぁ、またこれも嫌がらせか・・
15分くらいして、救急隊のお兄さん2人が駆けつけてきた。その間は完全放置されていたが、お兄さんたちが来たとたん、NとLも私のもとにいっしょに駆けつけてきた。
まるで童話のモデルのような意地悪さだ。
当時はそれどころじゃなかったけど、いまなら笑えてくる。
ムキムキのお兄さんたちは、どこが痛いの?大丈夫ですか?と優しく言いながらすぐに血圧を測ってくれた。
それと同時に、きききっと自転車でかけつけた夫もナイスタイミングで到着し、この救急隊員がいる非日常な様子を一目見て、
マ・ファムー!!!!!!!!!!!???(フランス語で私の妻の意味)
と鬼気迫る勢いで叫んでくれた。
私はそこで堰を切ったように号泣してしまう。
涙が止まらない。
その夫のいた場所から入れるのに、鍵を開けてくれないNたち。
Nたちの顔がこわばっていた。
救急隊の人たちが入ってきた入り口をさしてこっちから回ってくるように言ってくれた。
そして私は結局、救急車で病院に運ばれた。
フランスの救急車は、消防車であることも多い。今回は小さめの消防車で駆けつけてくれたので、生まれて初めての消防車だった。
夫は経営者Nたちに、しっかり文句を言ってくれた。
そのときは、夫が大ピンチに舞い降りてきてくれた後光がさした天使のように思えたので、そのことをのちに夫に伝えたら、
今でも夫はわさっわさっと手を羽のように動かして、
私はあなたの天使だとか言っている。笑
でも、本当にこのことがきっかけで私たち夫婦の絆はより深くて固いものになった気がする。少なくとも、私はこれから一か月、夫に対して怒るのを止めようと誓ったくらいだ。笑
本当にあのときはすごいタイミングで来てくれた。
お医者さんからはドクターストップをもらい、私は仕事に行かなくて済んだ。
ドクターストップがもらえたので、その原因である会社はその分の賃金とかかった病院代を払わなくてはいけないため、私はそのことと、その用紙を添付してNにメールした。
経営者Nからは、私が自作自演で仮病まで使ってこんなことしてるのを私たちは見ているから、払わないというなんとも酷い返事がきた。ここまで書類も揃っているのに、なんて言い草だ。
そもそも、自分が救急車呼んだからこんなことになったのに。
経営者Nは、私が腹痛を訴えたのは私が出勤する15分前の時間だとかウソをつきまくっている。
もう呆れすぎる。
本当にこんな人たちと二度と関わり合いたくない。
結局、お給料もしっかり払ってもらえたし、解雇扱いになったので、私としては訴える理由もなくなったので、訴訟はやめることにした。
ただ、病院代や、その期間の未払い賃金のトータル450€くらいが、まだ払われていないだけで、その結果はお役所に預けたままだ。
今回のことで、自分の弱さや強さを改めて再確認することができたし、夫との絆と愛がさらに深まった気がする。
当時はめちゃくちゃつらかったし、日本人のシェフと同僚に裏切られたショックは大きかったけど、この経験が自分の人生の糧になったと信じている。
苦しい経験もそれを糧にしてしまえば、自分をさらにパワーアップできるってことが腑に落ちた。
その精神でこれからも色々挑戦していきたい。
ここまで読んでくれた方、(あんまりいないと思うけど)
本当にありがとうございます。
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