フランスでアラブな会社とバトった話。その①
私は、生まれは山形の、育ちは小田原で、田んぼと山に囲まれて、のほほんとおおらかに育ったと思う。
香川県や東京で数年暮らし、今はフランスにたどり着いてパティシエという私の生まれついた雑な性格では扱いきれないような職業に就いてしまった。
大雑把でおおらかな私は、哀しいかな、真っすぐがむしゃらにしか進めない‥(ちなみに干支は猪だ。)そのように人生を歩んできて、今の私がここにある。
これは私が今年の5月くらいまで働いていた会社から、嫌がらせを受けて、それと涙しながら闘った話だ。基本的に争いを好まない私の人生で、他人と争った経験は小学生以来だ。小学生の頃は男子に爪を立てて喧嘩したけど、中学生以降は、嫌な奴がいたら、それ以上関わらないように無視するか、避けてきた。
しかし今回は避けられなかった。なぜならここで避けて自主退社してしまうと、失業保険がもらえなくて私は生活に困るからだ。そもそも悪いことしていないのに、いじめられて、逃げるなんて嫌だと思ったし、こんなにイジメるなら私も彼らの嫌な奴にとことんなってやろうと、覚悟を決めた。
結論から言うと、最終的には協議解雇という形になって私はその会社から解雇扱いになって無事に失業保険をもらえることになった。
しかし、まだ会社のせいでかかった病院代やその期間の賃金の支払いはまだない。もうあれから5か月は経とうとしているのに、フランスの社会保障制度を扱っている役所に結論を預けたままだ。フランスは長いのだ・・・
ハラスメントやイジメを受けている真っただ中で、何が必要かって、私はとにかく同じような体験をした人の話が欲しかった。ほかの人がどの様に苦しい試練を堪えたのか、強いストレスをどうやって克服したのか参考になる意見がとても欲しかった。心の支えが本当に必要だった。
当時職場では、私以外はみんな敵だったから、私の心境は戦地で闘う歩兵の気分だった。
だから、私も一つのいじめを耐え抜いた経験としてこの話をここに記しておきたい。
辛い経験をしている人がもしこれを読んで少しでも何か感じてくれたら幸いだ。
私にとっても、今までの人生でこれだけ人を憎んで恨んだ経験は初めてだったので、ここに全てを書いてきれいさっぱり昇華してしまいたい。
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私がこの会社で働きだしたのは2017年の10月からだ。
この会社はアラブ系の経営者で、アルジェリア人が多く働いていた。全従業員が130人ほどの規模でパリ市内にレストランを5店舗ほど持っている。このレストランとさらに別の顧客にケーキを卸しているのがこの会社の子会社(公開情報では全従業員9名)である。この子会社の経営者Nさんはアラブ系のフランス人で、キュイジニエでシェフとして現場でも少し働いていた。
パティスリーのシェフは日本人男性のTさんで、はじめは二人とも優しかったが、いざ働きだしてみると経営者Nさんは全く経営手腕がなく、仕事のオーガナイズができなくてめちゃくちゃ振り回された。
日本人パティシエシェフTさんはいつも経営者Nに不満を持っていたし、時間違いで働いていたパン屋チームもみんな一度に辞めてしまったくらい、会社として酷かった。
私が働きだしたとき、パティスリーのチームはシェフのTさんと私の2人きりだった。私が入る前に一気にみんな辞めたらしい。(ゾゾッ)
シェフTさんは人当りは良かったが、パティシエとして女子は使えないだとか、アラブ人やユダヤ人は嫌いだとか、LGBT が嫌いで、私にもし自分の子供がゲイだったらどうする?とか、バカ丸出しの質問を投げてきたりしたし、黒人雇って大丈夫?とかその人自身を見ようとしないで、肌の色だけでそんなことをのたまっちゃう、差別発言を連発していて、私は一か月もしないうちに2人で働くことに嫌気がさしていた。
だから、もと同僚の香港人のパティシエの女の子Yを一緒に働こうと誘った。たまたまシェフTの元後輩の日本人のSもここで働きだすことが決まって、1月後半にはパティスリーのチームは4人となって動き出した。
ところが突然働いていたラボ一帯で、電気工事が決まったらしく、(数日前から一日に何回も停電していた。)別の場所のラボに引っ越すことが急遽決まった。
慌てて引っ越しの準備や片づけをするも、別のラボも工事中でまだ働けることができなかったので、2週間後に仕事再開と言われて突然の2週間の有給休暇を頂いた。
ここはフランス、しかもこの会社の人たちはちゃんと機能していない。
もしやと思っていたら、休みが伸びて伸びて、一か月たった後の3月頭にようやく仕事が再開できることになった。
もちろん会社としては、会社都合なので賃金を払わないといけないので、通常であれば社会保障制度の手続をするのだが、この会社は当然していなかった。
そう、なので私たちはまるまる一か月ちょっと、働かずにお給料が頂けたのだ。
それが悪夢の始まりの序章だった。
3月に入ってからは引っ越しの片づけや働く場所の整理をして2週間がたち、それから仕込みや注文のケーキを作り出した。
同僚の香港人のYは11月に単発で働いていた未払いの賃金と、引っ越しの期間の2月の交通費の未払い(引っ越しの間も片づけに数日は仕事があった。)を経営者Nに要求していたが、経営者NはYが交通費を請求したことに腹を立てて、Yとちょっとしたトラブルになっていた。
ところで、引っ越しの以前は、私たちは日月休みと決まっていて週35~40時間労働だった。
私の契約書には、週35時間労働となっていたので、通常なら残業代は払ってもらえるはずなのだが、残業代は支払われていなかった。
日本人シェフTに聞いても、うーんどうかな?たぶん駄目だと思う。っていう答えに終始していた。彼は残業代について、経営者Nにずっと聞けずあいまいなままだった。
この日本人シェフTはフランスに10年ほど滞在しているが、残念なことにフランス語があまりできなかった。
そのくせ、俺は経営者Nにがっつんと言ってやっただとか、今日はもう怒りをぶちまけてやっただとかよく言っていたが、私はそれを見たことも聞いたこともない。
そして彼のフランス語ができないことのしわ寄せが、ついにこの日来てしまった。
この会社組織のひどさをわかっていた私は、引っ越しの後の仕事量がかなり増えるのではないかと恐れて、シェフに何度も働くシフトの変更はないことや、日月休みは当分は変わらないことを確認していた。
シェフTは、大丈夫。もし残業が多すぎたり大変な注文が来たら俺が経営者Nにちゃんと言うから安心していいよ。とか昨日まで話していたのに、、
月曜日から働いてた週の土曜日、出勤するとシェフTが昨日の夜寝ないで作ったよーといいながら3月の後半のシフトを見せてきた。
!!??
経営者Nに突然昨日言われたからこっちも困っているんだ。と見せてきたシフトは、日月休みではなく月8日休みの不定休のシフトだった。その週私は月曜日から土曜まで週6日働いたというのに、また月曜日出勤になっていたので愕然とした。日月休みだと思っていたから、自分の予定入れてるし。
私たちに相談の一つもせずに、勝手にシフト作ってこれでよろしくって、あなた何様ですか?と腹が立ったと同時に悲しくなった。
シェフTに対する信頼は地に落ち、怒りでわなわなとしてしまったが、とりあえず落ち着いて考えようと、その場では後でシフトを確認することをシェフに伝えて、帰宅してからシフトをもう一度確認した。
シフトをもう一度確認すると、どう数えても、私の休みは月に7日しかなく、週6日働く日が月に2回あり、週5日働く週が2回だった。そもそも契約書の内容では週35時間労働なのだから、契約違反だ。
それにしたって、前から相談してくれていれば、私も歩み寄るのだが、今回は相談一つ無く、突然、明日からこれでよろしくだ。
何これ????!!!!!
従業員をただの駒としてしか見てないのは明らかだし、心が全くない。
ちなみにシェフの休みは週3日もある週があり、どう考えてもおかしかったし、これは言わずには居られないと、シェフにこの旨をメールした。
私がシェフの立場だったら、いくら逆らえない経営者の方針でも、部下に相談するくらいはする。根回しではないけれど、そういう手順は大事だし、チームで動くってことはそういうことだ。部下は上司の言いなりなわけがない。
私が送ったメールに、シェフからの返事は一切なかった。既読スルーだ。
しかし、直接、経営者Nから私の電話に連絡が来た。
私は嫌な予感がしてとっさに、スピーカーにして電話を取った。
つづく
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