フランスでアラブな会社とバトッた話。その②
現在フランスでパティシエを生業として生きているのだけれど、去年の10月から働きだした会社と今年の春にドカーンと開戦してしまった。
私にとっては、攻撃を仕掛けたつもりも全くなく、まさかそんなことで、向こうが怒り狂うとは思ってもみなかった。
そんな話のつづきです。(前回の話はここ)
経営者Nから日曜の午後に突然の電話。
嫌な予感がして、とっさにスピーカーにして横にいた夫にも聞こえるようにして電話を取った。
経営者Nの声は怒りの剣幕で声量も大きく、話すスピードもめちゃくちゃ速かったから何をおっしゃっているのだかわからない。しかも、私はなぜ彼女がこんなにも怒っているのか、理解できなかったため、すみません、もう一度言って頂けますか?を繰り返していた。
あまりに経営者Nの暴言がひどかったようで、夫が我慢ならず、いきなり私から電話を奪い取って彼女と話し出した。
彼女は私がシェフTのシフトに文句を言ったことが気に入らなかったようだ。
こちらの言い分を経営者Nに話そうとしても、彼女は全く聞く耳を持たず、すごい剣幕で夫にしゃべり続けていたから私も恐怖で顔と体がこわばりつつ、必死で聞き耳を立てた。
Nの主張は、お前、一ヶ月丸々仕事もしないで給料貰っておいて、いざ仕事が始まったらちょっと休みがないくらいで何ガタガタ文句垂れてるんだよコラ!!である。
いや、待って。以前から一ヶ月も休みもらえるとわかっていたら、旅行にでも行くか、他の仕事を探すかしましたよ。突然明日から2週間休みと言われて、チケットは高くて取れないし、しかもその休みが伸びて伸びまくったのはあなたの会社のせいではないか。
理不尽すぎる!
夫は、とりあえず、日曜出勤なら法律に乗っ取って賃金の20パーセントプラスで支払うことと、残業代が支払われないならば、契約書通りの労働時間でしか働かない旨を経営者Nに伝えてくれて、その電話は終了した。
経営者Nは最後まで怒りまくっていたけれど・・
電話の後、夫も経営者Nの態度と暴言にかなり腹を立てていて、頭を切り替えるために一緒に散歩に出かけた。私は多少不安だったが、今後は残業しないで済むのだと思うと少し気が楽になった。今から振り返ると、どんだけ能天気だったんだろう。アラブの会社の怖さをわかっていなかった。
翌日出勤すると、経営者Nが怒りの形相で私の方に向かってきて、これにサインをしろと、一枚の紙を差し出した。
Nは私に、あなたがシェフTのシフトに従わないなら、私があなた専用のシフトを作ったから、これにサインしてこの通り働きなさいと一方的に言い放った。
その紙には、日曜日を除く月から土曜日の週5日出勤で、休みは不定期で(経営者Nが決める)、14時~20時、2時間休憩、22時から23時まで働くというシフトが書いてあった。
まず2時間休憩がありえない。
今まで私たちは9時~18時のシフトで働いていて、レストランでもなかったから、2時間の休憩はただの嫌がらせだ。
そしてこのラボで働く他の人も遅くても20時には帰宅するというのに、私一人で23時まで働くというのはおかしい。その時間まで働く意味がない。
私はすぐに、このシフトが嫌がらせだとわかったので、サインはしないでこの紙を家に持って帰りたいと言ったが、彼女はサインを要求してくるばかりで、私がその紙を持ち帰ることは拒否し、嫌なら辞めたら?と冷たい目で言い放った。しかも私は自転車で出勤しているのだが、私の自転車もこの敷地内に置くのは禁止された。(前までは自転車をどこに置いてもいいよと快諾だったのに。)
このラボがある区域はパリ郊外の治安が比較的悪い所なので、私は自分の自転車を外に放置するのが不安だった。
当たり前だが、私がサインをしなかったので、彼女はその用紙を郵送で送ると言い放ちその場を去ったのだが、残された私は一気に奈落に落とされた気持ちでいっぱいだった。
家に帰って夫に今日あったことを説明すると、書留でその書類が送られてきた場合、それに書いてあることは私のサインの有無なく強制的に従わなくてはいけないそうだ。
私はあそこのラボで23時まで働くことは何が何でも嫌だったので(仕事場までの道のりも暗くて危ないし、治安が悪いし。)、激しくへこんだ。
もうこの会社を辞めようと思った。
でも同時に、ここまでされて、黙って辞めて経営者Nたちが喜ぶ顔を想像したら怒りが湧いてきた。
そこで、夫の従兄弟の弁護士を頼って相談し、会社と闘うことを決めた。
この時は腹が立つのと悲しいのと不安な感情でいっぱいだったが、まだ希望を持っていた。
翌日出勤すると、経営者Nたち会社の人間だけでなく、シェフTとその後輩Sまでも完全に私を無視することに決め込んでいたらしい。
その日から私のやる仕事は掃除だけになり、みんなから完全に孤立した。
唯一こころの支えだった、友人の香港人のYもまた、経営者Nと揉めて、Nに脅されてすぐに会社を辞めてしまっていたので、私以外はみんな敵だった。
そんな会社でも残るのは、従順な下僕根性をしっかり持った日本人シェフTとその後輩Sしかいないだろう。
彼らは完全に経営者Nの味方となって私をその場に居ないように無視し続けた。
外国の地で、外国の経営者とトラブルになった日本人を全く助けない、助けなくとも、話を聞くぐらいもしてくれない同僚の日本人の冷たさに私は本当に悲しくなった。
トラブルになる以前は、問題なく仲良く働けていたのに。
一皮剥くとこんなにも冷酷なんだ。と人間の怖さを知った。
まあ今から思えば、自分のことを守るので精一杯だったんだと思う。あの当時は彼らのこともめちゃくちゃ恨んで地獄に落ちてしまえーって呪っていたけれど、今はもう私の知らないところで幸せになってくれと願うばかりだ。
でももう二度と関わり合いたくない。
経営者Nとその下っ端の事務の人は次から次へと私に理不尽なことを言ってきて毎日怒鳴っていた。
当時私は毎日出勤するのが本当につらかった。
出勤しても、掃除しかできない。パティシエなのに。
でも実際、仕事量はたくさんあって人は足りたないにもかかわらず、私には掃除しか仕事をふれないシェフが滑稽に見えた。
シェフもその後輩Sも、朝から夜遅くまで働いていた。
そして、みんな無視するくせに、気が向いたら、私に挨拶くらいしろよとか怒鳴ってくる。
さらに私は、彼らから何をされるかわからない不安もあって、あまりのストレスの多さに苦しんだ。家では何度涙したことか。
ストレスをどうにかしたくてストレスと向き合う本を購入したほどだ。
振り返ってみると、ここで自分の弱さと向き合えたのは、私にとって良い経験になったと今ではそう思える。
私の休みは日曜とあともう一日だったが、経営者Nは一切私のシフトをくれることはなかったため、私は最初にもらったシェフTのシフトに基づいてもう一日を休んでいた。すると事務所のNの下っ端がすごい剣幕でお前はいつ出勤していつ休んでいるんだ!勝手に日曜日休みやがって!シェフTのシフトに従え!っと怒って言ってきたので、経営者NとシェフTのどっちに従えば良いの?と尋ねたら、何か意味不明なことをモニャモニャつぶやいていたので、私も思いっきり、あなたと話しても意味がない!って言い放って掃除に戻った。もちろん掃除は時間をかけてゆーっくりと丁寧にやった。
その間にも、一度支払われた2月分の給料が会社の口座のお金がなくて払われなかったり、3月の給料も働いた分がきちんと支払われなかったりしたため、こちらも訴える準備をしていた。
この間わずか一か月弱なのだが、私にはとても長く思えたし、書留書類を送り、メールを送り、弁護士に相談し、と、、どこに終わりがあるのかまたいつ終わるのかが見えなかったため、とてもつらかった。
こんなにつらいのに、自分の体調がすこぶる元気だったので、健康に生んでくれた母親を恨みたくなったくらいだ。病気になりたいってバカなことを考えてしまうくらい私の心は病んでいた。
私は、こんなに態度が悪い社員を会社が雇っておくはずがない。すぐに解雇になるだろうと高をくくっていたのだが、会社は私を解雇するそぶりもみせない。
なぜだ・・・
だから私もダメもとで、私から会社に協議解雇をしてくれないかと申し込んでみた。
協議解雇とは、会社にとって一番リスクの少ない解雇の方法で、私にとっても解雇扱いで会社を辞められるので失業保険も出る。
するとあっさりとOKが出て、会社は私の夫が作った協議解雇の書類にサインして15日後に役所がそれを受理すれば解雇扱いになることを了承した。
(このことからも、会社はこういう手続きができることを知らなかったようだ。)
このお役所に預ける15日間は、私の使っていない有給休暇をすべて当てて、消化することにした。
これで、通常ならば綺麗さっぱりこの会社とはおさらばだ。もう二度とこの敷地には訪れまい。そう誓ってラボを出たのに、
予想通り、人生はそう甘くはなかった。
私にはまだ試練の山が残されていた。
がーん
つづく
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