毎朝5分の自分語り 2024/03/26
大変さは労働の価値の一部ではあるが、成果とは何も連動しない。
大変であってもそうでなくとも成果は等しく成果だ。
同じ職場のある人にとってハナホジ秒で終わることを死に物狂いで1年かけて実現したら、むしろ低評価をつけられるだろう。
大変であるということは、本人以外にも通じないと意味がない。
むしろ本人しかできないか、もしくは他の人が同じことをやったらより大変なことというふうに認知されないと、評価には繋がらない。
だが、本人にとっては大変なことは等しく大変なことだ。
苦労をねぎらってもらえないのは辛かろう。
そういうときは 自分の居場所じゃなかった 自分向きの仕事ではなかった と、向き不向きのせいにした方が良いし、そうであることが多い。
弱点を鍛えるよりも強みを活かす方が圧倒的に良い成果も生むし、メンタルも安定する。
だが、仕事は自由に選ぶことはできない事が多い。
職場も本人も生まれた仕事は誰かがやらなければならない。
成果が出せていない人のところにはあまり仕事は集中しないが、逆に回ってきた仕事を蹴るのは難しい。
向き不向きに関わらず取り組まざるを得ない環境にある事が多い。
そして向かない仕事では当然成果が出ない。
これが長く続くと
自分には一体何ができるのだろう?
と自己肯定感レベルが最低になる。