毎朝5分の自分語り 2023/11/12
ソフトウェアファーストという言葉がある。
これはそれまでソフトウェアの価値が低かったことの反動なのかも知れない。
世界的なことはよく分からないが、おそらく日本ではハードウェアの価値がソフトウェアの価値よりも相対的に高い。
ハードウェアがあればそれを100%使いこなすソフトウェアとセットで販売するというスタイルが多かった。
そしてそれは今日でも同じだ。
機能していて初めて価値が認められるのはソフトウェアもハードウェアも同じだ。
ハードウェアには材料が必要だが、ソフトウェアには材料が必要ない。
もちろんソフトウェアだって作るのにはそれなりの設備や頭脳が必要だが、それはハードウェアも同じだ。
むしろ変えられない分だけ事前の検討やテストの重要性はハードウェアの方が上だ。
だからこそソフトウェアの価値が低くなる。
人情的に言うと、所有している実感が大きい。
物質的価値の有無が大きい。
原因の一つにソフトウェアの無料提供がある。
卵が先か鶏が先かは意見の分かれるところだが、OSSやインターネットでのHP閲覧に始まり、スマホゲーの基本無料スタイル、YouTube配信など利用者が無料で享受できるサービスは多い。
一方でハードウェアは世代交代による相対的価値の低下はあれど、最新機種の価格定価はほとんど起こらない。
だからソフトウェアの価値が相対的に低くなる。
物質主義は環境問題的に価値を高める。
ソフトウェアの産業廃棄物は環境影響がほぼ見えないが、ハードウェアの産業廃棄物は環境問題に直結する。
環境負荷を高めるから価値が高いのか、それとも価値が低くなるのかは意見が分かれるところだが、少なくとも今あるものを長持ちさせようとはする力が働く。
こう考えるとソフトウェアファーストは定着しないのかもしれない。
ただ単に巨大な利益を生むGAFAを代表するIT産業のコアコンピタンスなだけであって、お金からそっぽ向かれたらこの言葉は意味をなさないかも知れない。