毎朝5分の自分語り 2021/08/23
人には邪悪な欲求がある。
誰かから何かを奪いたいとか、破壊したいとか、蹂躙したいとか、そういった積極的な悪意を持つ事がある。
この邪悪な欲求は欲求そのものよりも、行動が別の利益を生むから行われる場合が多い。
例えば強盗であれば、相手を蹂躙する事よりも金品を手に入れるための手段として暴力が使われるだけだ。
復讐であれば相手を蹂躙することによって、自らが味わったネガティブな感情を解消する為に行われる。
しかし中にはその欲求の解消そのものが目的になる場合もある。
おそらく多くの人は衝動的にそういった感情に襲われたことがあるだろう。
その感情を行動に移すかそうでないかの違いがあるだけだ。
実行に移さないのは
・実行する際にリスクが高い
・欲求そのものの衝動が弱い
・悪意をぶつけた後の倫理的な後悔が予想される
・相手のことをそれほどどうでも良いとは思わない
などの理由を意識するからだ。
これらの理由が当てはまらない場合は実行に移されてもおかしくは無い。
そのため社会の安全を構築する為にはこういった理由を後付けでもなんでも付け加えておく必要がある。
個の時代と言われて久しい。
多様性の普及に従い社会通念が少しずつ取り払われる時代だ。
道徳は構築しづらく、倫理の集合体でしか理由付けが難しいのかも知れない。