毎朝5分の自分語り 2023/05/26
使用者と労働者の間には埋められない溝がある。
基本的に労働者は社外との競争にさらされていない。
同じ立場を巡るライバルがいれば競争原理が働くが、そうでなければ競争原理が働かない。
そうした場合は仕事はサボればサボるほど得になる。
労働力を払わなくてもお金はもらえる。
もっと言えばその時間を別の仕事に費やせばその分収入を増やすことができる。
成果が出なければ使用者側は成果が出るように労働環境を整えたり、労働者を増やしたりして対策を行わなければならない。
そうすると労働者にとってはどんどん居心地が良くなる。
それは時間給が顕著だが、時間給でなくとも歩合制でなければ同じだ。
逆に言えば働けば働くほど、能力を伸ばせば伸ばすほど、効率を良くすれば良くするほど損だ。
自分の労働の価値は高くなっても給料が連動することはほぼ無い。
人は減らされ、より多くの労働や効率を求められる。
墓穴を掘っていると言っても過言ではない。
そういう意味では成果主義というのはとても理にかなっているのだが、それは言葉だけで捉えた場合だ。
成果をきちんと測るというのはなかなか難しい。 現実的では無いと言っても良い。
こうした原理原則が働くと、労働意欲というのは限界まで落ちていく。
場合によっては職場の同僚からサボるように要請または強要されることもあるだろう。
だが、実際のところ真面目に働く者が多い。
正しいかどうかはさておき、一応使用者側からの評価はされるからだ。
出世、昇給、降格、減給、退職といったことに響いてくる。
実際は出世しても大して昇級するわけでもなく、少しの収入アップと引き換えにより馬車馬のように働かされることが多いのだが、おそらくはお金だけの問題ではない。
プライドだ。
年数が経っても働きが悪ければどんどん同僚と立場が開き、後輩にも追い抜かれることになる。
これは退職理由にも同じことが言える。
あまりにも職場のお荷物であれば居心地が悪く、職場に居づらくなるからだ。
逆に言えばプライドと完全に決別できるのであれば無敵だ。
そういう無敵の労働者は年寄りに多いと思う。
自分の限界を知り、もうこれ以上出世が望めないと諦めてしまうからだ。
出世を諦めること自体は悪いことばかりではない。
ピーターの法則が働くからだ。
限界まで出世して最終地点で無能を晒し、自他共にやりづらくなるくらいなら丁度良いところで止まるのは全体最適に適っている。
かくいう私も似たようなものだ。
無敵の老害にだいぶ近いと思う。