毎朝5分の自分語り 2021/08/25
今日は通院のためお休みをいただきました。
連休明けからいきなりクライマックスで疲れていたのもあって、良い骨休めになるんじゃ無いかなあと思う。
今回のお盆休みは雨ばっかりだったので散歩にも行けずに身体が鈍って仕方がなかった。
心と身体は繋がっている。
健全な肉体に健全な精神が宿る
なんていう言葉があるが、1/4が本当で1/4がウソで1/2があいまいだ。
身体が鈍っていたり疲れていたりすると、精神にも支障をきたす。
長時間労働を苦にして自殺してしまう人もいる。
自殺するくらい精神が病んでしまっているのであれば健全とは言い難いだろう。
反対に体を動かすことによって脳が働くという事もある。
健全な肉体がゆえに精神の調子が乗ってくるようになるという事例だ。
肉体を生かす事がメインで生きている人は肉体によって評価される事が多い。
そこで功績を挙げる人の肉体は健全そのものだと言って良い。
が、功績を挙げる事ができた人の中では、その功績ゆえに精神が傲慢になる人もいる。
傲慢では健全とは言い難いだろう。
ヤクザなどの荒くれ者は暴力がベースとなった商売だ。
暴力を売り物にする以上は肉体の健全性は死活問題だ。
暴力による威力で生きている人の精神が健全かというととても怪しい。
反対に不健全な肉体に健全な精神が宿るか?という意味では今やっているパラリンピックの選手が例に挙げられるだろう。
彼らは肉体的な障害を抱えている。
健常者の肉体を健全だと定義したときには、健全ではないのだろう。
しかしだからといって精神が不健全か?
少なくとも肉体を酷使しても耐えうる忍耐を持っているし、世界の代表として戦う覚悟も持ち合わせている。
ついでに言えばアスリートとして晒される覚悟もある。
障害者としては辛い過去もありそうなのにもかかわらずにだ。
健全という言葉そのものがあいまいだ。
パラリンピックに出るような障害者の肉体は不健全なのか?
これも意見が分かれるところだろう。
健全な肉体も定義があいまいだが、健全な精神も定義があいまいだ。
一生懸命悪事を成し遂げようとする精神は健全か?