#4 美術館における博物館的展示について
事情あって現在帰省をしている。ちなみに県(茨城)内移動である。
私は下宿と実家が近いため多めの頻度で数日間の帰省をしている。
(ここ最近は自粛気味ではあったが)
実家が水戸に近いので、空いた時間を使って水戸市にある茨城県近代美術館へ足を運んだ。
高校生の頃から学外学習などでよく訪れており馴染みの深い美術館である。
(引用元:http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp)
現在開催中の「名作のつくりかた」という企画展のキービジュアルに使われている横山大観の「流燈」は知っている人も多いのではないだろうか。
実はこの作品、この美術館の収蔵作品である。五浦の作家として茨城にゆかりのある作家の名作が地元にあるという事は、なんとなく嬉しく感じる。
と言いつつ、この「流燈」を私は未だ見たことが無かったので、今回の企画展には是非行きたいと前から思っていた。
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かなりの雨の中だったが無事美術館に到着し、目当てにしていた「流燈」もしっかり見ることができた。「流燈」の感想はまた機会があれば言語化したい。
また、この作品のみ8月中旬までの公開なので是非見に来て欲しいと思う。
企画展を実際に鑑賞して、小規模の美術館としてなかなか面白い展示だと感じた。
「良い」かどうかは別として、である。
そう感じた大きな要因は、「過程」を見せるという博物館的意識にある。
まずこの展覧会のタイトルにもある「つくりかた」というのは、近代絵画作家たちの作品制作の「過程」や「方法」を様々な角度で考えてもらう意図が含まれている。
例としてこれは第1室の中村彝の作品展示風景である。
この右側に視線を移すと、
このような模型(裏付けの写真)と目線を示す額縁が設置されている。
この額縁を除けば実際の絵画の構図が自分の目で確かめられるということだ。
また、中村彝のセザンヌ的多視点描写についても、絵画作品と見比べることで体感とともに学ぶことができる。
この他にも構想段階のドローイング・下絵の展示や写真パネルや映像などの解説展示を駆使して様々の作家の制作の過程を分かりやすく示す工夫がなされている。
通常の美術館展示では作品を並列し、多数の作品の鑑賞・比較から実感を得ることでキャプションなどの文字解説を説得力のあるものに仕上げる。
しかし今回の展示は、最も価値ある資料(今回の場合は完成品としての絵画)を中心としたあらゆるメディア(下絵、模型、映像など)を駆使して分かりやすい展示を形成するという自然・歴史博物館に近い展示ではないかと私は考えた。
極めて博物館的である。厳密にいうと美術館も博物館だが。
これは都内の大規模な美術館などではなかなか見ないなと思った。
新しい試みとしてとても興味深いと感じた。
しかし展示全体の様相として気になるのは、後半の現代作家の展示は果たして前半の展示と関係があったのだろうか?ということだ。
間島秀徳氏の部屋はインタビューや映像の展示など工夫が見られ非常に興味深かった。
しかしその後の収蔵作品の展示などは、キャプションを見ると〇〇といえば●●、●●といえば△△…のような無理のある繋ぎ合わせが目立ち、私としては場所を埋めるための収蔵作品の羅列としか思えなかった。
特に白髪一雄氏は好きな作家の一人であるため、そのように置かれることが個人的に残念に感じた。
また展示的な目線で見たとき、このような立て札が空間を塞ぐ形で置かれていたことに「お?」と感じた。
確かに「ご挨拶」などの文章を読んだときに左右に移動余地がありどちらにいこうか迷う。そのような人に向けた立て札であると思うが、このようなあからさまな誘導型導線は果たしてスムーズなのだろうか。
「過程」を見せるという展示の特性上、確立した導線による順序立てた説明が必要だ。しかしそれを鑑賞者に強いることが必ずしも良いことであるだろうか。
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まだ何日か実家にいるので今度は水戸芸に行こうかな、とも考えている。
ロバートメイプルソープが展示されているらしいので楽しみだ〜
コロナ禍による活動自粛のため、美術館で作品を鑑賞すること自体がとても久しぶりだった。
そのためか分からないが、美術館を出た時とても疲れていることに気づいた。
美術鑑賞をすることにも多少の体力が必要だと感じた、これから真夏に向けて体力をつけようと思う…
(下二枚は常設展の奥に靉嘔氏の作品が展示されていたため、近くに設置されたベンチに腰掛けながらぼーっと鑑賞していた際に撮影した写真。
ポールに細い筆で描いた形跡があるのが印象的だった)
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