見出し画像

川で泳ぐ体験をせずに死ぬのは損

(本投稿は、次回投稿の「都会の川で泳げる未来を」のたたき台となります。)

なぜ、自分はここまで家の近所の川で泳げる未来を熱望しているのか。
なぜ、職場の同僚は下水処理の仕事をしているのに近所の川で泳げる未来にそれほど関心がないのか。

その理由についてずっと考えていました。(嘘です。たまに考えては、忘れてしまうことを繰り返してました。)

そんなことを〇年ほど経て、結局のところ幼少期の体験が一番の理由ではないかと思い至りました。私は幼少期に埼玉県の田舎で育ちました。住んでいた公営団地の隣は国有林で、夏はクワガタが取り放題でした。徒歩10分でたどり着ける広大な茶畑の斜面を足けり車で一気に下った時のスリルは、数年後に乗せてもらったジェットコースターの比ではありませんでした(一歩間違ったら死んでました)。冬は雪が腰の高さまで降りつもり、そこを”おしん”のシーンのようにかき分けて進む体験や、かまくら作りも体験できました。そして何よりも深く記憶に残っているのは、夏に毎週のように家族で遊びに行った近所の川遊びの思い出でした。

当時五歳ほどであった私にとって、川遊びは冒険であり探検であり研究でした。非日常の世界に興奮しながら生き物を探し、捉えて観察し、家に持ち帰り図鑑で調べて飼育しました。今思い返せば、なんて贅沢な時間だっただろうと感じます。戻れるものなら、いま直ぐにでもあの頃に戻りたいです。

その夢のような時間を過ごしてから、早40年以上が経過しました。今、自分の息子に同じ体験をさせてやれないことが残念でなりません。しかも、自宅の近所の川は雨が降ると臭います。週末に息子と近所の公園に遊びに行く途中、必ずその川を渡ります。「お父さんの仕事は川をきれいにする仕事なんだよ。」と息子に言い聞かせている手前、メンツが立ちません。私の住む地区は、合流式下水道を採用していますので仕方がないのですが、これが今後もずっと続くのかと思うと本当に悲しい気持ちになります。

宇宙観光のためにロケットを飛ばす時代に、都会の川で泳ぐことを目指すのは滑稽なことでしょうか。耐圧ガラス越しに地球を見る体験と、テレビに映る地球を見る体験との違いを、私は経験していないので語ることはできません。けれでも近所の川にウキウキしながら出向き、ドキドキしながら生き物を探し、捕まえて興奮し、じっくり観察することで知的好奇心が満たされる一連の体験がどれだけ刺激に溢れたものか。それが画面に映る映像を見るだけの体験と、どう違うのかについては語れます。

「いやいや、宇宙は無重力だし全く違うでしょう。」という人の99.999%以上は、実際に宇宙から地球を見たことがないでしょう。それが出来るのはごく限られた人だけです。しかし、最近は川で泳いで生き物を狩ることができる人もまた同様に限られてきています。あの体験をできずに死んでしまう…。これは本当にもったいないことです。過去に私が経験できたことを、未来の子供たちとも時代を超えて是非共有したい。あわよくば、老後ギリギリ滑り込みで息子や孫と再び体験したい。この欲が、打ち上げHANAVIの活動を行う大きなモチベーションとなっています。

打ち上げHANAVIメンバー 矢次

いいなと思ったら応援しよう!