インディーズ時代の楽曲 『恋のうた』 で再発見したスピッツ草野さんの描く詞の世界の魅力と狂気
スピッツへの愛
久しぶりの投稿です。
「好きなアーティストは誰?」なんて、よくある質問には、ノータイムでスピッツと答えてしまうし、必死にバイトしてカツカツで購入した車のナンバーを、いくらか多く支払ってでも「8823」にしてしまった私なのですが、数年前から一年に一度、必ず読むようにしている本があります。
一年に一度というのは、スピッツ結成日である7月17日のことで、本来は本投稿をその日に行いたかったのですが間に合わず、、 (こちらの記事は再投稿になります。)
ちなみにこの本は、スピッツ結成20周年を記念して発行された書籍であり、アルバム制作を軸に、バンド内外で巻き起こる色々な出来事を、メンバー4人それぞれの視点で寄せられたコラム集です。
大学生の頃のインディーズ期から、鳴かず飛ばずのメジャーデビュー初期、ロビンソンでの大ブレイクを経て、音作りに悩みアメリカへと渡る中期と、スピッツという一バンドの30年間の大体半分くらい?の歴史を追体験し、メンバーの内面や成長を深く知ることが出来ます。
スピッツの魅力はなんといっても、シンプルなギターロックと綺麗なメロディーに乗せて歌われる詩的な歌詞、そしてバンド全体の一体感が生み出す独特の世界観ですが、これらの魅力に深く触れるための必読書です。
音楽的な話は門外漢の自分は、この本に助けてもらいました。
『恋のうた』 について
『恋のうた』はスピッツのインディーズ時代の楽曲の一つです。
草野さんがTHE BLUE HEARTSに出会い衝撃を受け、バンド活動を一時休止する、通称ブルーハーツショックを経て、パンクロック志向から独自の志向へと転換したきっかけになった曲であり、草野さんが初めてアコギで作曲した曲でもあります。
スピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」(1991年11月25日リリース)の10曲目に収録されており、スペシャルアルバム「花鳥風月+」(2021年9月15日リリース)の15曲目にはインディーズ時代のver.が収録されています。
余談ですが、「名前をつけてやる」の引き伸ばされたネコのジャケット写真はかわいいですね。ハライチの岩井さんが、最後のM-1の本番で、このジャケ写のTシャツを着用していて、自分の中で密かに話題になりました。
再発見したこと
結論から言うと、私が再発見したのは、『恋のうた』が失恋ソングではないか?ということです。一見、まっすぐな"僕"の想いを綴った歌詞の中に、初期スピッツの詞のメインテーマの一つでもある「死」の要素がふんだんに隠されており、失恋を乗り越えられなかった"僕"は自死を選び、"君"を想い続けている曲に聞こえるのです。
気が付いたきっかけになったのは、まさに今の私の心境がこの歌詞に完全に重なってしまったからで、、
急いで勝手に心の師と仰いでいる「スピッツ大学」さんの「恋のうた」のページを確認すると、とても近い解釈がありました。また、他の方のブログ等も拝見したのですが、失恋ソングという部分に深く触れている方があまりいなかったので、若輩者ではありますが、拙い文をつらつらと綴らせて頂きます。
歌詞の解釈
歌謡曲のような入りから、まっすぐに"君"への想いを吐露したのかと思いきや、「おさえきれぬ 僕の気持ち」のせいなのか「おかしな夢ばかり」見ています。
「おかしな夢」ということは、良い夢ではないかもしれません。
私は、長い期間付き合っていた恋人と、将来のことを考えて、仕方なくお別れしてから色々な「おかしな夢」を見るようになりました。──投稿済みの エッセイをご参考ください。
元恋人が自分ではない誰かと暮らしている夢、自分では無い誰かと結婚式をしている夢。なかなか眠れなくて、EURO2024(海外サッカー)をたくさん見ていた頃には、元恋人が外国人と付き合っていてデートをしている「おかしな夢」を見てしまった時には本当に困惑しました。
「おかしな夢」を良い夢ではないと解釈すると、”僕”は幸せな状態ではなく、何らかのフラストレーションを抱えている気がします。
失恋してしまったけど、今も想う"君"への気持ちを必死に抑えようと苦悩している状態の”僕”を自分に重ね、想像してしまいます。
ストレートな解釈をすると、おかしな夢のなかで"君"を想っているということですかね?
「おかしな夢ばかり見て」苦悩していた「だけど」ということは、"僕"はもう苦悩していないということでしょうか?
そして「君の頭の上」で「浮かんでいる」ということは、"僕"はもう亡くなったから苦悩から逃れたというふうに解釈出来ます。微かに自殺の可能性香ります。
"君"のことを深く愛している"僕"は、亡くなって苦悩から逃れたことで、"君"の近くでふわふわと揺蕩い、見守っているという描写に見えます。
「君が悲しい事に見舞われたときは、きっと助けるよ」とストレートな解釈も出来ますが、"僕"が亡くなっている仮定すると全く別の解釈が出来ます。
「飛びちるとき」というのが飛び降り自殺を、「僕のところ」を"僕"の葬儀というふうに解釈出来ないでしょうか?
"君"と「おかしな夢」の中でしか会えなくなってしまった"僕"が、"君"と再会するための手段として「悲しい事」を選択してしまうのは、私の心情と重なってしまいました。
もしくは、"僕"の後を追ってきて欲しいという恐ろしい解釈も出来なくはありません。
「僕が行くよ」ではなく、「僕のところに来て欲しい」という歌詞にすることで様々な解釈ができ、草野さんらしさや、言葉選びの巧さが光ります。
皆さんはこの部分の歌詞がどういうふうに聞こえますか?
私は『恋のうた』の歌詞の中で唯一、ストレートな解釈が出来ない箇所だと思います。
「きのうよりも」「今の君が恋しい」という心情を素直に受け取ると、「あした」は「今」よりも恋しくなっているのではないでしょうか?
しかし「あしたよりも」「今の君が恋しい」とも歌われています。
素直に「今」が大切で昨日も明日も関係ないとも受け取れますが、どうでしょうか?、、わずかな違和感が残ります。
「あした」よりも「今の君が恋しい」となるのはどういった状況でしょうか?
私は、"僕"が"君"のことを好きでなくなってしまう場合を真っ先に想像しました。
"僕"は"君"を今でも愛しているし、何なら昨日よりも好きになっている気もする。嫌いにはなりたくない。でも別れてしまった以上、今よりも好きになることは、とても難しいです。
「君と出会えたことを大事にしたい」し「生まれてきたワケ」にしたいから「ミルク色の細い道を振り返ることなく歩いてる」のですが、素直に解釈することも出来なくはありません。
しかし、失恋した"僕"は亡くなっていると仮定すると、面白い解釈が出来ます。
"君"と別れてしまった僕は、「君と出会えたことを大事にしたい」し「生まれてきたワケ」にしたい。けれど、"君"のことを嫌いになってしまうとそれは叶いません。苦悩から逃れるために自死を選んだのかと想像しましたが、歌詞のこの部分がきっかけになったようです。
自らの人生をここで終わらせることで、"君"のことを愛したまま、愛憎が入り混じる前に、「君と出会えたことを大事にしたい」し「生まれてきたワケ」にすることが出来る唯一の手段ではないでしょうか?
他の人を「生まれてきたワケ」にすることも怖いし、「おかしな夢」ばかり見て苦悩し続けていると"君"のことを嫌いになってしまう原因になりかねませんよね。
「ミルク色の細い道」がこの曲の詩の中で最も難解なフレーズですね。
抽象的でつかみどころがありません。
ミルク色はミルキーホワイト、もしくは乳白色と訳せますが、ミルク色という色も存在します。まあ色は関係ないかもしれません。笑
「振り返ることなく歩いてる」というのは、何かを決意して、その決意を持って進んでいくことを表していそうです。
「ミルク色の細い道」を 白い?絹の道(シルクロード)と解釈するとどうでしょうか?今までの解釈を一部ひっくり返しストレートな解釈と繋がりますが、他の文化へ通じる道を迷いなく歩いていく情景は、留学や上京といった事情で別れを決めたけど、たくましく人生を歩いていく"僕"を想起させます。
また、「ミルク色の細い道」を ミルキーウェイ(天の川)と解釈すると面白い解釈につながります。
仕方ない事情で別れ、なかなか会うことは難しい"君"と"僕"は、織姫と彦星たちに重なりますね。
また、現実の天の川は、夜空に浮かんでいる星々であり、その一部になるように、ふわふわと浮かんで向かっていく情景は「天に召される」ようなイメージがあり、「死」を想起させます。
解釈のまとめ
留学や上京、結婚観の違いなどといった仕方のない特別な事情で"僕と君"は別れることになる。おそらく"君"が決断したのだろう。
一度は納得し、身を引いた"僕"であったが、"君"への気持ちは何故か日に日に増していき、「おかしな夢」を見るほどに思い悩む。この深い愛が憎しみに転じる瞬間が怖い。「君と出会えたことを大事にしたい」し「生まれてきたワケ」にしたいのに。
"君"ともう一度会いたいけれど、特別な事情ゆえにそれは叶わない。
会わない方がいいのは、理性では分かっている。
そんな日々を過ごすうちに再会する唯一の方法を考えついた。
僕の葬式であれば来てくれるのではないか?来れない理由はないのではないか?
気が付くと"僕"は、無数の小さな光の粒めがけて、迷いなく夜空へと駆け出し、重力から解放された。そして"君"の近くでふわふわと揺蕩い、見守ることができるようになった。
以上が私の『恋のうた』の歌詞の解釈になります。
結びに
実体験と重なって、かなり歪んだ解釈になってしまったかもしれませんが、私には『恋のうた』がこんなふうに聞こえます。
レゾンデートルを他者に求め、どうにも上手くいかなくなる経験をした人には分かってもらえそうです。
ロッキンジャパンのインタビュー記事によると、草野さんは5thアルバム 『空の飛び方』のあたりから明るい歌詞を意識的に書くようになり、『チェリー』以前は「風景」を描いていたそうです。
この曲は、ましてやデビュー前の曲ですから、実直な"僕"の心情を歌った『恋のうた』であることには、やはり違和感がありますね。私の解釈が多少違うにしても、何かしら裏はありそうです。
皆さんの解釈、ご意見等、なんでもコメント欄にお寄せください。
ご覧頂きありがとうございました。