見出し画像

奴隷・家畜・主人でなく、神さまと神さまとして生きること というオプション

神、神様、神さま、かみさま

神様と書くと、なんか怖い恐い強い神、一神教の砂漠の神。を含むので、ここでは神さま と書きます。

神さま っていうのは、なんとなく、拝んだり、感謝したり、恐れたり、上の方にいらっしゃるようでいて、八百万神的にも、生命に、土に、地水火風に、空、宇宙、間、そしてこの体、細胞・・・いたるところにもいらっしゃる。

私たち一人ひとりも神さま

当然、私たち一人ひとりも神さまとしても生きている。つまり、自らもまた神さまの一部として、神さまから心身をお借りしつつ、神さまと一緒に、生きている。あら!素晴らしい(^ ^)

ってことは、すごい力を持っていたり、なんでもどうすればいいか知っていたり、お互いのこともよくわかっていたりする はず。これがA。

んなわけないじゃん

なのに、そんな力は持っていないし、知恵はないし、お互いのこともよくわからない どころか 信じきれない。のも実感。これがB

神さまか神さまでないか 選択か

さて、A:YES神さま B:No神さま として。
Aを信じて行動すると、実際に潜在的な力(自分の、そしてお互いの、そして運も)は発揮されることが多い。
Bを信じて行動すると、実際に潜在的な力は発揮されないことが多い。

実際には両方を行ったり来たりするんだけど、Aがうまくいかなかった時に、やっぱりBかなとなって、うまくいったときは"たまたま"扱いになっていくと、力は外部化されて、Bに閉じこもってしまう。安定を求めすぎると岩戸の洞窟、子宮に戻る、防衛凍結に戻るみたいな。

意図して神さまに向く

なので、"たまたま" にはAを想い出してね、ってサインくらいで、軽く窓を開けて空気・光を入れる(手力男が必要な時もある)。

意図して、Aをひいきする感じだとニュートラルにいれるようになる。

なぜひいきか。それは現在の社会システムがBをひいきにしてるから、バランスを取るから。

文明システムは神を殺す・奴隷化する

学校、会社、ジェンダー、貧富の格差、産業システム・・・いろんな形で今の文明は、Bを掲げているから。それは(近代)科学的に正しく世界をよくしようという善意だったり、砂漠で生まれた神は命が少ないところなので厳しいとか、いろんな理由があるから。

でも最初から 神さまがいない 神は死んだ から始めちゃうと、やっぱり世界は死の世界になっていく。絶対神・外なる神 はいない。けど、私たちそのものが神さま、内なる神さま、ならいるよね、そもそも元からいたよね。だったら、Aを選択できる。

画像1

私たちの可能性をもっと信じること

Aを選択する ということは、私たちの可能性をもっと信じること。
・薬やワクチンに頼らなくても、体には自己治癒力や免疫力やバランスをとる知恵・力がある。
・商品を買わなくても、いろいろな道具や食品や作品を作る創ることができる
・本や情報を得なくても、内なる知恵はある。
・サービスを頼まなくても、助け合うことができる。

Bの文明は逆だ。医療システムや学校システム、産業システムは、私たちの力と知恵を囲い込んで無いものとして扱うことで、私たち自身でBを選ばせようとする。(cf. イリイチ)。気づかぬうちに奴隷となっている。奴隷を支配するには奴隷だと思わせないことだから。

(落とし穴。主人になろうとすると、自分も奴隷となる。また、奴隷を作る・使う(機械やシステム)ことでも自分は奴隷化する。>次回)

奴隷・家畜・主人でなく、神さまと神さまとして生きること

Aにひっくり返すこと。少なくともその選択肢があることをおもいだすこと。選び直せること。

(BGM: ピンクフロイド Animals。豚、犬、羊)


いいなと思ったら応援しよう!