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のさり のさった のさる のさった*同調圧力を超えて

「のさり」という言葉

天草を含む、南西九州~沖縄北部あたりには、「のさり」という言葉がある。使うときは「のさった」が多いという。
(若い人はもう使わなくっているみたいですが)

例えば「赤んぼうをのさった」「今日は*(海山の恵み)がのさった」。
授かった。恵みをいただいた。という意味だが、

必ずしもいいこと ばかりではない。
例えば「コロナをのさった」「水俣病をのさった」
とも言う。
これもまた、授かりものなのだ。

と考えれば、一喜一憂、万事塞翁が馬ともいうが、
さまざまな出来事に対して、感じ、評価し、判断し、あれこれ振り回されもするが、どうこうできるものではない(他力の中では、小さな私が自力で右往左往してもしょうがない。とはいえ、無力ではない。)。

それをそのまんま受け止めて
学ぶものは学び、いただいて、感謝して、また生きる。お返しする。祝福する。
ということなのだろう。たくましい。

インシャラー すべて神の思し召し も近いのかな?
Let It Be もかな?
Everything is OK. Everything is be All right.
Leave it to the will of God
All is the will of God

「のさり」をスポイルされないために

とここまで来て、これもまた支配、同調圧力にも利用されてきた、されるなと。
・今の境遇を受け入れなさい。
・はみ出るのはわがままです。執着です。カルマです。
・みんなそうしてるでしょ
・日本は神の国
・自分を無にせよ

そこは気をつけないとですね。

自我を無にせよ は わかるけれど 自己を無にせよ は違う。
外部の神は怪しいが、内なる大いなる神はOK
子どものとき、わがままと思われるようなこと であっても周りがあんぜんで大丈夫な空間・コミュニティを作っていれば、自分でわかるようになる。

日本も江戸期までは庶民リテラシーがあったように思うけれど、明治以降、国家が権力にうまく組み込んだ面があると思います。

「のさり」として生きる。大切なのは気づくこと

大切なのは気づくこと。今の自分に気づくこと。そうすれば呪いは解ける。

今をあきらめる のではなく エゴを手放しより大きな(ホリスティック)な自己として、今を受け止めてどう生きるか生かされるか どう命は歓びたがっているか イマココにかかっている。

地域の「のさり」的なマインドは素晴らしいので、それを自分ごととして、自分もまたギフト「のさり」であり、のさった責任というか、重いものでなく、生き生きとのさってもらうといいな(^ ^)と思います。

PS.
天草を舞台にした映画「のさりの島」GWに公開予定!
https://www.nosarinoshima.com/

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