未来塾、はじまっちゃうよ!!!
2024年、春未来塾。自分にとって連続3回目の未来塾。
今未来塾に対して感じるのは「どんな場になるか全く想像できない」!
初めましての人はお互いに多いし、未来塾の構成も、焚人も違う。今回のメンバーでどんな時間が流れるのか、自分がそれに何か関わることができるのか、楽しみ。
過去2回はみんなが作る未来塾に乗っかってきたけれど、自分も少し何かできないかなとアクションを起こしたいなあ(小声)
1. 前々日の今
初の焚人全員集合は明日。
(未来塾前日!笑 こういう行き当たりばったり感にニヤニヤしてしまう。笑)
みんなの空気感を見るのがまず楽しみだなあ
でもなんか未来塾の感じをみんなですり合わせる、共有するとはちょっと違くて。個人個人の思いや強み、雰囲気、やりたいことを出し合って、
未来塾面白くなりそうだなあとニヤニヤできていればなんとかなるじゃないかな。
屋久島のやっくん&りんとオンラインで話した時も、やっぱり話すとお互いの雰囲気を感じて、一緒に作っている感じがしてワクワクしてきたもん
2. 感じるはその時その人次第
今回もたくさんの場所からたくさんみんな集まる。
初めてのメンバーでしかもたったの五日間で!どんな場が、感覚が生まれるのかはちょっと不安でもあり、楽しみだなあ
そして地球とつながるearth dialogも楽しみ。
「地球とつながる感覚って?」というのが今。
12月の「屋久島と地球の未来会議」で、その感覚をわかっているかもしれない人たちと出会ってたくさんお話をして。
きっとその感覚を味わうことは何か大事なことを自分が持っておけるという気がした。
その今までにないものを感じたい気持ちと、地球と繋がれたら
「自分の感情でいっぱいいっぱい、から進めるんじゃないか」という感じがある。でもきっと感じ取ることも全部タイミングだと思うから、それはその時その時で。
「火」に触れる機会が多いことも楽しみ。
火がなんとなく好きで、キャンドルで日常にも置いてみている。なんか新たな火との接し方が見つかりそうでワクワクしている。
また前回に引き続きたくさん感じて「すごい」「美味しい」「!!!」その単純な感情を大切に。でもそれが何でなのか、ちょっと解像度もあげて感じたいな。
3. 未来塾ってなんだ
自分の考えたいことを好きなだけそれぞれ考えていいんだよ、好きなようにいていいんだよって感じさせてくれる(感じる間もないくらい雰囲気だと思う)場所が未来塾な気がする。
同じ空間にいるからといって同じことを考えないといけないわけじゃない。
曖昧な言葉だけど、
自分らしくいる、自分の居たいようにいる
ことをおっけーとしてくれる場が未来塾で人が焚人
なんじゃないかなと自分では今思う。私もそういう感じでありたいな。
ひとりひとりが何を考えるかは重要じゃないし、何かを解決したり、前に進むこともあまり関係ない。ただ自分の心地いい、そのまんまでいられる場。
反面それをさりげなく醸して作るのは難しいことなんだろうなあ(笑)
4. "おとなになる" とは
焚人は場を醸す人。
でも場を醸すだけでは未来塾は成り立っていなくて。
会場の手配、資料作成であったり詳細を詰めていったり。
色々な手配など現実的な準備が必要で。
未来塾以外にもたくさんあって忙しい中で
現実的な準備をしたり様々な手配をしてくれてありがとう。
やっくん、りん、焚き火マン!
そこをみんなに任せてしまっているあたり私はほんとに子どもだなあと思いました。
そして。
ここから、みんなの在り方からヒントを得て、今回のテーマの一つである私の考える「おとな」を発見しました。
”自分の感情とも向き合うし、他人の感情も推し量って、相手のために何か気遣いをしようとできたり。
そういった内面のこともそうだけれど、現実のこともしっかりやれる人がおとな”
なのではないかと私は思いました。
そう考えると私は自分の感情と向き合ってるところで止まっているかも、、
他人の感情、現実的なこともこなす。
まだまだ在りたい像とは程遠いなあ〜
5. 個人テーマ「自分にわからないことをわかろうとする」
そしてひっそりと持っておく個人的テーマが「エンパシーとシンパシー」。
そのきっかけは
ブレイディみかこさん著の「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
の中の他人の気持ちを推し量る二つのやり方の解釈。
つまり、自分の中にあるものさしだけで、とそれを超えて自分にないものにも思いを馳せてみるという二つの他人の気持ちの捉え方。
前提としてエンパシーとシンパシーの定義には色々あって、その言葉の解釈はそれぞれだけれど。その二つの他人の感情の考え方に注目してみて。
私は自分の中に思い当たることだでけしか他人の気持ちをわかろうとしていないのでは(ここではシンパシー)と感じた。
自分の中にないものは本当に管轄外、という感じ。
でも自分の中にないものはわからないというのはその通りではあると思う。
自分の中にあると思ってシンパシーしても相手の思っていることとは違っているかもしれないし。
自分と相手の解釈は違うだろうけど、それでもその人になって考えようとする姿勢で。でもそれをその人だと決めつけるのではなくて、その人かもしれない「種」として持っておけばいいのかな。
エンパシーとシンパシーをちょっと頭に置くものに認定します
それぞれの解釈を、みんなに聞いてみよう。
自分も解釈して、みんなの解釈も知って。
今だけの場、時間を思いっきり感じて過ごそ!
2024環境系学生未来塾 in 屋久島
どんな場になるかな!!!