映画『オッペンハイマー』セリフ解説!<後編:トリニティ実験後>
セリフが秀逸で難解な『オッペンハイマー』。でもセリフが分かると奥が深い!
気になるセリフを裏の意味も含めて解説します。当然、ネタバレ満載です。
※ストーリーの基本構成とか登場人物が分かっていないとセリフも理解できないので、そこが不安な人はまず感想と視聴ガイドを見てください。
※この記事は<後編>です。<前編:トリニティ実験まで>もご覧ください。
※映画と同様の並びにしてるので、時系列には沿ってません。
※脚本はアマゾンなどで入手できます。脚本と映画でセリフが違うところは、記憶している限り映画で実際に使われたセリフを紹介してます。
※モノクロ部分のセリフは<モノクロ>と書いてます。
※映画の中のセリフの解説であって、時代考証ではありません。
※著作権法上の「引用」に当たると考えていますが問題があるとお考えの権利者の方はご一報ください(To the right holders: this article cites some lines from the Oppenheimer movie in accordance with applicable copyright law but please contact the author if you have any concern.)
What for? (何のため?)
原爆投下の直前、一緒にワシントンDCに行ったほうが良いかと聞くオッペンハイマーにグローヴスが言った言葉。こう言われてオッペンハイマーは黙って引き下がるしかなかった。
その後、広島原爆の一報をオッペンハイマーは一般の人と同じようにラジオで知った。
原爆開発まではリーダーシップを取っていたオッペンハイマーだけど、科学者として原爆投下の政治決定への影響力が限られていたことが示唆される。
マット・デイモンは、映画の中で印象に残った言葉としてこれを挙げていた。
ノーラン監督は、オッペンハイマーが原爆投下について一般人以上に情報を持っていたわけではなかったことを踏まえ、(オッペンハイマーの主観で語られるこの映画では)広島長崎を描かなかったと話している。
Edward, the fact that we built this bomb doesn't give us any more right or responsibility to decide how it's used than anyone else. (エドワード、我々が原爆を作ったからといって、それがどう使われるかについて何かを言う権利もなければ責任もないんだ)
シラードの原爆使用阻止の嘆願を見たかとテラーに聞かれたオッペンハイマーがこう答える。
ある意味オッペンハイマーの責任逃れの言葉。でも同時に、自分が原爆使用の政治決定に口を出せないことへの憤りも含めた言葉だと思う。
But what's your opinion? (だけどあなたはどう思うんだ?)
原爆投下の是非について、自分の意見を言わないオッペンハイマーに対してテラーが言う言葉。
映画後半のオッペンハイマーは、「科学者は〇〇と思っていた」とか、「〇〇と言っている人もいた」とか、自分は傍観者のように発言することが多く、ほかの登場人物からあなた自身はどう考えているんだと詰め寄られることが多かった。
現実のオッペンハイマーの戦後のインタビューを聞いていても、あえて自分の意見をあいまいにしてるような発言が多い。映画も、オッペンハイマーの立場(原爆投下や核兵器開発の是非)を明確には描いておらず、観客の想像力・判断に委ねてる。
Everybody here is feeling reasonably good about it. It's been a long road. (ロスアラモスでは皆おおむね満足している。長い道のりだった)
広島原爆投下の「成果」を電話で伝えてきたグローヴスにオッペンハイマーが言う言葉。
"feeling reasonably good"のニュアンスは難しい。これまで原爆開発を目指して働いてきたからその「成果」が出て満足はしているけれど、原爆投下の恐ろしい帰結を前に手放しに喜んでるわけではない、ということじゃないかと思う。
I bet the Japanese didn't like it. (日本は大損害を受けたはずだ)
原爆投下後、ロスアラモスで「勝利演説」するオッペンハイマーが言った言葉。
日本語字幕の作成に困りそうな発言。私はソフトに訳したけど、ニュアンス的には「日本ざまみろ」ぐらいの意地悪い言葉。「ドイツにも落としたかったよ」と恐ろしいことも言っている。けれどもオッペンハイマーは、威勢のいい「勝利演説」をしながら頭の中では原爆投下がもたらした「帰結」に恐れおののいている。
表面では聴衆に煽られ恐ろしいことを言っているけれど、内面では原爆投下が正しかったか確信が持てないオッペンハイマー。道徳や倫理をめぐる内面の矛盾が頂点に達する。
少なくとも表面的には心が痛くなるひどい発言だけど、日本とアメリカは戦争してたわけだからね。1945年8月の空気感考えたら必ずしもオッペンハイマーの発言を非難できないよね。
オッペンハイマーが原爆投下後の広島の写真を見るのはこの演説の後。写真をもとに被害状況が説明がされるけど、オッペンハイマーは途中から目を伏せていた。
被害を直視できないオッペンハイマーを描いているのは、ある意味オッペンハイマーに対するノーラン監督の批判的な視点の表れだと思う。
Mr. President, I feel I have blood on my hands. (大統領、私は自分の手が血塗られているように感じるのです)
戦後オッペンハイマーがトルーマン大統領に言った言葉。現実にもこういうことを言ったらしい。
オッペンハイマーが普段表に出さない(出せない)原爆投下の罪の意識をトルーマンに告白した言葉のようにも思える。なんでオッペンハイマーがよりにもよってトルーマンにこんなことを言ったのか、何を伝えようとしたのか、色々な解釈ができそうだけど、ソ連との核開発競争を避ける必要がある、そのことの重要性を伝えるために、原爆投下の深刻な帰結を分からせようとしたのかもしれない。
He may not be wrong. We bombed an enemy that was essentially defeated. (彼の言う通りかもしれない。すでに敗戦濃厚だった敵に原爆を落としたわけだからね)
原爆投下は第二次世界大戦を終わらせたのではなくソ連との冷戦を始めただけと言われたオッペンハイマーが自虐的に返す言葉。
日本が戦争をやめていないからという理由で原爆投下に反対しなかったオッペンハイマーだけど、戦後、原爆を落とす前にすでに日本の敗戦が濃厚だったと悟る。ただオッペンハイマーは、だからといって原爆を落とすべきではなかったとは言っていない。
オッペンハイマーの発言は、シーンによって、時には1つのシーンの中でもぶれ始める。
<追記>
日本がすでに敗戦濃厚だったのに原爆投下した、という箇所は、原作者の一人であるカイ・バードに台本に入れて欲しいと言われてノーランが急遽入れたセリフだそう(カイ・バードが台本に入れてほしいと頼んだのはこのセリフだけで他にはないそう)。この場面の撮影が終わった後、キリアンがノーラン監督のところにやってきて、この一言が入ったことでこの場面が生きたと伝えてきたんだそう。ノーラン監督は、この言葉はオッペンハイマーの幻滅(戦争を終わらせるために原爆投下が必要だと思っていたのに実はそうではなかったかもしれない)を示す重要な言葉だと言っていた。
カイ・バードも、広島長崎への原爆投下が必要だったかどうかがこのセリフに凝縮されていると言っていた。
Your conclusions will be. (結論は異なるはずだ)<モノクロ>
ストロースはボーデンにオッペンハイマーのセキュリティファイルを渡し、オッペンハイマーを告発するようにけしかける。ファイルには目新しい情報はないと告発をためらうボーデンにストロースが言ったのがこれ。
ストロースにけしかけられたボーデンが、ちゃんとした証拠がないのにオッペンハイマーはソ連のエージェントという結論をでっち上げたことが示唆される。
実際、ボーデンが告発したことで、1954年の聴聞会が始まることになる。
Amateurs seek the sun and get eaten, power stays in the shadow. (素人は太陽を求めてやられる。力は陰にとどまるものだ)<モノクロ>
1954年の聴聞会を裏で仕組んだのがストロースだと気づいた上院補佐に、ストロースが言い放った言葉。
映画では、光の当たる道を歩むけど苦しむオッペンハイマー(カラー)と裏で立ち回るストロース(モノクロ)のコントラストが意識されてる。
Because I was an idiot. (私が愚かだったからだ)
オッペンハイマーが、シュヴァリエ事件(原爆開発中、ソ連に情報提供してほしいと言っている人がいるとシュヴァリエがオッペンハイマーに伝えたけれど、オッペンハイマーは相手にしなかった)のことを政府に報告した時、事実じゃないことも織り交ぜて報告してしまっていた。
友人のシュヴァリエを守るための嘘だったけれど、1954年の聴聞会でなぜ嘘をついたかと迫られてこう答える。
友人を守るために嘘をついたことが、聴聞会で自分の首を絞めることになってしまった。
Because of the personal vindictiveness he demonstrated against Dr Oppenheimer, and against all those who have disagreed with his official positions. (ストロースがオッペンハイマー博士やその他自分の公的立場に反対する人々に対し、個人的な恨みをもって復讐してきたからです)<モノクロ>
1959年のストロースに対する公聴会で、ストロースは商務長官として承認されるべきでないと話す科学者デイヴィッド・ヒルが、その理由を聞かれてこう答えた。
ヒルは原爆投下に反対していた一人で、ストロースは彼がオッペンハイマーに恨みを持っている(だからストロースに有利な証言をする)と思っていたけれども、実際にはストロースに不利な証言をした。オッペンハイマーが(テラー以外の)科学者の支持を得ていたことが示唆される。
映画の中ではこの証言が致命的となってストロースの承認が拒否されることになった。この証言は、実際の公聴会でデイヴィット・ヒルが本当に言ったことらしい。
I have my reasons. (私には私の理由がある)
聴聞会はいかさまだから出頭するだけ無駄だと言われたオッペンハイマーがこう答える。
そのあとのシーンで、アインシュタインに「国から裏切られたら国を捨てるしかない」というようなことを言われて、オッペンハイマーは「残念ながら自分はこの国を愛してるのだ」と答えている。
オッペンハイマーは愛国者だったからこそ、国(アメリカ)を捨てず聴聞会にも最後まで出たことが示唆されてる。
He's never once said he regrets Hiroshima - he'd do it all over because it made him the most important man who ever lived… (オッペンハイマーはヒロシマについて一度も謝罪しなかった。それに必要となれば同じことを繰り返すはずだ。なぜならヒロシマがあったからこそ歴史上もっとも重要な人物になれたんだからな!)<モノクロ>
1959年の公聴会で追い詰められたストロースが言い放つ言葉。
カラーシーン(オッペンハイマーの主観)では、心の中で罪の意識に苦しむオッペンハイマーが描かれるけど、モノクロシーン(客観)では、表面的には一度も謝罪していないことが断罪される。それに、内面的に苦しんでるとしても、原爆開発者としてアメリカで英雄扱いされてることで恩恵を受けてることが皮肉られてる。
映画がカラー(主観)とモノクロ(客観)で構成されてるからこそ、内面で苦悩しながらも表向きでは戦争を終らせた英雄として称賛される矛盾が際立ってる。
このシーンは、下で書くロジャー・ロッブに問い詰められるシーンと交錯しながら進んでいて、オッペンハイマーがストロースとロッブの両方からから非難される感じになっている。
You knew, did you not, that the dropping of that atomic bomb on the target you had selected would kill or injure thousands of civilians, is that correct? (原爆があなたの選んだ場所に投下されると数十万人もの民間人が犠牲になると知っていたわけですよね?)
1954年の聴聞会で、聴聞会側弁護人(実質的には訴追人)ロジャー・ロッブがオッペンハイマーにこう問い詰める。それに対してオッペンハイマーは、これほど被害が大きくなることは予想していなかったと弁解する。
そのあと原爆投下についてロッブからさらに問い詰められるオッペンハイマー。オッペンハイマーが原爆投下を後悔したか、とても気になることが描かれるシーンだけど限りなくグレー。脚本全訳しました↓↓(実際はもっとロッブが追い詰める感じの名シーンになってる)。
ロッブ:原爆投下による被害に良心のとがめは感じましたか。
オッペンハイマー:極めて強い良心のとがめを感じた。
ロッブ:しかし広島への原爆投下は極めてうまくいったとも証言していましたよね?
オッペンハイマー:技術的には成功だった。
ロッブ:オウ!技術的には、ですか!?
オッペンハイマー:それに、原爆は戦争終結を導いたとも言われている。
ロッブ:広島へ水爆を投下することも支持したと思いますか?
オッペンハイマー:それは全く意味がない。
ロッブ:なぜ?
オッペンハイマー:目標が小さすぎる。
ロッブ:では仮に日本に十分な大きさの目標があったとして、それでも水爆投下に反対したと思いますか?
オッペンハイマー:そのようなことは我々の問題ではなかった。
ロッブ:今どう思うか聞いているんですよ。良心のとがめがあるから日本への水爆投下は反対したと思いますか?
オッペンハイマー:そう思います。
ロッブ:では良心のとがめがあるから広島への原爆投下には反対しましたか?
オッペンハイマー:我々は…
ロッブ:あなた、あなた、あなたです!「我々」でなく「あなた」の意見を聞いてるんです!
オッペンハイマー:私は、私は原爆投下に反対する意見は提示した。ただそのような意見に賛同はしなかった。
ロッブ:つまり原爆開発のために3年も費やしたのに、使うべきではないと言ったのですか。
オッペンハイマー:そうは言ってない。陸軍長官に科学者の意見を聞かれたので、原爆投下に反対する見解と賛成する見解の両方を伝えた。
ロッブ:あなたは日本への原爆投下を支持しましたよね??
オッペンハイマー:「支持」とはどういう意味かね?
ロッブ:投下場所の選定に協力しましたよね。
オッペンハイマー:自分のやるべきことはした。ロスアラモスにいて政策決定をする立場にはなかった。依頼されたことは何でもやろうとしていた…
When it became clear to me that we would tend to use any weapon we had. (手元にある兵器はどんなものでも使ってしまうものだと悟った時)
ロッブから、今度は水爆開発に賛成するか問い詰められるオッペンハイマー。
オッペンハイマーは、水爆を開発すべきでないと明言することは避けつつ、原爆開発がソ連の原爆開発を促したように水爆開発はソ連の水爆開発を促してしまうと答えるけれど、ロッブは原爆も水爆も核開発競争を起こすのは同じなのに1945年時点では原爆開発を進めておきながら今になって水爆開発に反対するのはどういうことかと詰め寄る。
ロッブは、オッペンハイマーによる原爆開発が核開発の「連鎖反応」を引き起こしたと非難してる。
で、水爆についての道徳的信念が変わったのはいつなのか、と聞かれてオッペンハイマーが答えたのがこれ。いろんな解釈ができるけど、原爆開発時には使用のことまで考えていなかった(実際に使用しなくても抑止力として使えると思っていた)ということかもしれない。ある意味責任逃れの発言かもしれないけど、(政治とは別の)科学者としての限界を知ったということでもあるかなと思う。
J. Robert Oppenheimer - the martyr. I gave him exactly what he wanted. To be remembered for Trinity, not Hiroshima, not Nagasaki. He should be thanking me! (殉教者のJ・ロバート・オッペンハイマー。彼が望んだとおり、ヒロシマやナガサキではなく、トリニティ実験の功労者として記憶される。誰のおかげだと思ってるんだ!) <モノクロ>
1959年の公聴会で追い詰められたストロースが言い放つ言葉。
オッペンハイマーが原爆開発に成功した科学者として英雄扱いされつつ原爆投下の政治的責任からは逃れようとしていることを痛烈に皮肉ってる。
J. Robert Oppenheimer, this board … has come to the unanimous conclusion that you are a loyal citizen. … However, … we have voted two to one to deny the renewal of your security clearance. (J・ロバート・オッペンハイマー、我々は全会一致であなたが忠実な市民であると結論します。しかし、2対1の多数決であなたのセキュリティクリアランスの更新は否定します)
1954年の聴聞会は結局オッペンハイマーのセキュリティクリアランス更新を「否定」する。
映画の中でこれと並行して進む1959年のストロースに対する公聴会も、商務長官任命の承認「否定」という結論になる。
Did you think if you let them tar and feather you the world would forgive you? It won't. (聴聞会で汚名を着せられたら世界が許してくれるとでも思っていたの?そんなの間違いだわ)
聴聞会でやられるがままになっていて戦わないオッペンハイマーにキティが言う言葉。これに対してオッペンハイマーは「どうかな(We'll see)」と答えてる。聴聞会という「罰」を受けることで贖罪を果たそうとしてたのかもしれない。
最後のアインシュタインの話も「罰」や贖罪の話が絡んでる。
<追記>
Deadlineのノーラン監督インタビューによれば、「どうかな」というのは、オッペンハイマーが許されるかどうか、観客に問いかける意図があったんだそう。
You once had a reception for me at Berkeley. Gave me an award. You all believed I'd lost the ability to understand what I'd started. So that award wasn't for me … it was for all of you. Now it's your turn to deal with the consequences of your achievements. And one day … when they've punished you enough, they'll serve salmon and potato salad, make speeches, give you a medal, pat you on the back and tell you all is forgiven. Just remember. It won't be for you. It'll be for them. (君は以前、バークレーで私に賞をくれ、お祝いをしてくれたね。しかし君たちは、私が自分の始めた理論をもはや理解できなくなってしまったと思っていた。だからあの賞は私のためではなく、君たちのためのものだった。今度は君が君の達成したことの帰結と向き合う番だ。そしていつか、君が十分に罰を受けたころ、人々は君にごちそうを用意し、お祝いのスピーチをし、メダルを与え、すべて許すと背中をたたくだろう。しかし覚えておくんだ。それはどれも君のためのものではない。祝福する人たち自身のためのものなのだ)
戦後、プリンストンに赴任してくるオッペンハイマーにアインシュタインが話す深い深い言葉。涙出る。
これも色々解釈できるけど、今日の日経春秋に「だれもがオッペンハイマーになりえたのだ」って言葉があって、このシーンのメッセージを言い当ててると思った。
たまたまあの時代にアメリカで量子力学を研究していて、たまたまグローヴスに見いだされて、科学者としてリーダーとして素晴らしい能力を発揮して、世界のためになると信じたことをやって「成功」した。だけどその帰結は…。オッペンハイマーも歴史に翻弄された一人だった。
I believe we did. (破壊してしまったと思う)
戦後のプリンストンで、オッペンハイマーがアインシュタインにこう話す。絶望して立ち去るアインシュタイン。映画はオッペンハイマーの絶望した表情で終わる…。
核分裂が止まらなくなる連鎖反応が起こって大気に火が付き世界を破壊してしまうんじゃないか、というのがトリニティ実験の時の懸念で、結局連鎖反応は起こらなかった、やれやれ、と思ったら実は核開発競争という形で連鎖反応を起こし世界を破壊してしまっていた、というのがこのセリフから示唆される。しかも、核兵器はいずれ使用されるだろうという予言めいたメッセージもあるから恐ろしい…。
考えてみれば、映画のオープニングから連鎖反応を連想させる水面の波紋だった。やっぱりオッペンハイマーは世界の破壊者だったのだ。
おわり
あとがき
キリアン・マーフィーは、オッペンハイマーをどう演じるか考えていたとき、ノーラン監督に「オッペンハイマーは雨粒の間をすり抜けるように自分の道徳意識と折り合いをつけている(Oppenheimer is dancing between the raindrops as to where he stands, morally)」と言われて納得したと話していた。
オッペンハイマーはただの善人でもなければ悪人でもなく、原爆開発を後悔したわけでもしなかったわけでもない。良いことをしようと思ったけれども恐ろしい帰結を招いてしまった。恐ろしい帰結を招いてしまったけど良いことをしようとしていた。そういうオッペンハイマーの多面性や矛盾を鋭く突いてる言葉だと思う。
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