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映画『オッペンハイマー』セリフ・場面解説!<日本語字幕版(前編):トリニティ実験まで>

 セリフが秀逸で難解な『オッペンハイマー』。でもセリフが分かると奥が深い!
 日本語字幕で特に分かりにくいと思ったセリフや場面を解説します。当然、ネタバレ満載です。
 この記事が扱うのはトリニティ実験まで。トリニティ実験後は日本語字幕解説<後編:トリニティ実験後>を参考にしてください。
※ここで解説していないセリフは日本公開前に書いたセリフ解説<前編:トリニティ実験まで>と<後編:トリニティ実験後>も参考にしてください。
※おおむね映画と同様の並びにしてるので、時系列には沿ってません。
※映画の中のセリフの解説であって、時代考証ではありません。

イジドール・ラビとの出会い

 ライデンからチューリッヒに向かう電車の中で、オッペンハイマーはイジドール・ラビに出会う。そこでラビは、「我々はニューヨークのユダヤ系なのに(we're a couple of New York Jews.)」ということを言っていて、2人がユダヤ系だから疎外感を感じることがあるという話をしている。
 オッペンハイマーもラビもユダヤ系というのは一つ重要なポイントだったと思うけど、日本語字幕では単に「米国人」となってしまっていた。

キティとの出会い

 オッペンハイマーはキティに出会った時、「ニューメキシコに一緒に遊びに来ないか」と誘ったあと「(あなたの)夫と一緒にね(不倫したいわけじゃないよ)」と付け加える。それに対するキティの返事が、日本語字幕では「気持ちは変わらないから」になってるけど、これだと意味が通じない。実際には、夫が一緒に来ても「全く関係ない(it won't make a bit of difference.)」(夫がいようといなかろうとキティは好きなことをする)、ということを言ってた。

キティとジーン

 オッペンハイマーがジーンに、「キティが妊娠したからおなかが目立つ前に結婚するんだ」と言ったのに対し、日本語字幕ではジーンが「文明的ね」と答えてて何のことかよく分からないけど、実際には「常識があるのね(How civilized.)」と嫌味を言ってる。

ローレンス

 ローレンスに言われ、政治活動をやめて「爆弾プロジェクト」に加わることになったオッペンハイマー。その時オッペンハイマーが、アインシュタインとシラードがルーズベルト大統領に送った原爆開発の手紙のことは知ってると発言してるけど、日本語字幕ではシラードの名前が省略されてた。ここは誤訳ではないけど、映画の後半でシラードがオッペンハイマーに原爆使用に反対するよう求めたときに、オッペンハイマーが「シラードたちに言われて原爆開発に関わったのに今更何を言うんだ」と発言するところがあるから、元々の手紙にシラードもかかわっていたというのは重要だったと思う。

グローヴスとの出会い

 原爆開発成功のカギは反ユダヤ主義と話すオッペンハイマーに、グローヴスがなぜかと聞く。それに対するオッペンハイマーの答えが、日本語字幕では、ヒトラーはユダヤ人が嫌いだから学者に資源を提供しない、というような訳になってしまってたけど誤訳だと思う。ここでの「資源(resources)」は「人材」のことで、本来は、ヒトラーはユダヤ人が嫌いでユダヤ系の人材を排除してしまってるから研究が遅れるという意味だと思う。
 それから日本語字幕で、グローヴスがオッペンハイマーに、「みんなにこう伝えるよ。『オッペンハイマーはハンバーガー店を経営できない』と」と言うセリフがあるけどこれも誤訳。正確には、グローヴスは、「あなた(オッペンハイマー)に対する評判で私が気に入っているのは、『オッペンハイマーはハンバーガー店すら経営できない』というもの」と言ってる。それに対してオッペンハイマーは、その評判は間違ってないかもしれないけどマンハッタン計画は指導できると答えてる。
 「オッペンハイマーはハンバーガー店は経営できないがマンハッタン計画のリーダーにはなれた」というのは原作にもあるよく知られた話。

列車内でのグローヴスとの会話

 日本語字幕では、オッペンハイマーが「(科学者をロスアラモスに来るよう)説得するためにはどうしたらよいか」と聞くと、グローヴスは「任せるけれど、説得できなかったらタマを蹴る」と答えてる。
 けど実際には、オッペンハイマーは「(科学者をロスアラモスに来るよう説得するため)どこまで情報を伝えていいか(What can I tell them?)」と聞き、グローヴスは「任せるけど、タマ蹴られそうと思ったらそれ以上話すな(As much as you like, till you feel my boot on your balls.)」と答えてる。
 実際そのあと、科学者にマンハッタン計画を説明するオッペンハイマーが、グローヴスの視線を感じ「蹴られそう」と思って足を組んで口を閉じるシーンがある。機密情報管理にも関係する重要な場面。
 別のやっぱり列車内のシーンで、日本語字幕では、オッペンハイマーがグローヴスに「ボーアを呼べないか」と聞くと、グローヴスは「イギリスに聞いたが無理。まだ正式に連合国になってないから」と答えており意味が通じない。
 実際には、オッペンハイマーはグローヴスに「ボーアを(占領下の)デンマークから脱出させられないか」と聞いていて、グローヴスは「イギリスに聞いたが連合国軍が(ヨーロッパ)大陸に上陸するまでは無理(No dice. I checked with the British. Until we get Allied boots back on the continent there's no way.)」と言ってる。

アインシュタインと数学

 連鎖反応が止まらないかもしれないというテラーの計算結果を持ってアインシュタインに相談に行くオッペンハイマー。このシーンはフィクションだけど、日本語字幕ではアインシュタインがオッペンハイマーと同じように数学を「軽視」しているという表現があるけど、実際には数学が苦手で「毛嫌い(disdain)」しているということ。

クラウス・フックス

 日本語字幕では、ロスアラモスに着いたフックスを、グローヴスが「英国代表」として紹介し、オッペンハイマーはフックスに、「いつ英国に来たか」と聞いてる。
 でも英語では、オッペンハイマーは「いつから英国人になったのか(How long have you been British)?」と聞いてる。フックスはもともとドイツ人だったけど、ヒトラーから逃れてイギリス人になった。そういう背景があるからこそスパイになったんだと思う。

「区分化」

 マンハッタン計画の情報管理の方針について、区分化という言葉が字幕で時々出てくるけど、何のことか分かりにくいと思う。
 元の英語はcompartmentalizationで、秘密情報は部門ごとに管理して、部門を超えた情報共有はだめだよという意味。だからグローヴスは部門横断的な自由討論にも反対した。日本語訳は「情報非共有」とか「情報隔離」とかのが分かりやすかったと思う。

セキュリティ・クリアランス

 秘密情報にアクセスする資格のことをセキュリティ・クリアランスというけど、日本語字幕はアクセス許可とか単に許可とかになってて、これも分かりにくいんじゃないかな思った。
 セキュリティ資格とか、セキュリティに関連した言葉の方が分かりやすかったんじゃないかな。
Wikipediaによると、オッペンハイマーは最初マンハッタン計画に参加するためセキュリティ・クリアランスを得て、そのあと何度か更新されて、次の更新時期は1954年6月末に予定されていた。けども更新時期が来る前に、ストローズにけしかけられたウィリアム・ボーデンが「オッペンハイマーはソ連のスパイの疑いあり」という手紙を送ったから、それをきっかけに映画の舞台となった聴聞会が開かれた、ということらしい。1954年5月に終わった聴聞会は、オッペンハイマーのセキュリティ・クリアランスを更新しない(事実上のはく奪)という結論を出したのは映画の通り。

「核兵器の議論」

 AECで、ソ連が核実験に成功したけど次はどうするかという話題になった時、日本語字幕ではオッペンハイマーが「核兵器の議論」をしようと答えてる。これだとなんの議論か分からない。
 元の英語はarms talksで、核兵器を抑えていこうという議論を意味するから、軍備交渉とかの訳にして欲しかった。

ジーンの最期

 ジーンの死の知らせを聞いて泣き崩れるオッペンハイマーがキティに、日本語字幕では、「(ジーンの)遺書があった」と話してる。けど実際には、「メモがあった。署名されてなかったけど(She'd left a note … not signed.)」と言っていて、遺書とははっきり言っていない。
 ジーンの死には、自殺説と他殺説があり、映画ではどちらとも取れる表現になっている(ジーンの死のシーンで黒い手が見える)。遺書として訳してしまうと、自殺ということになってしまう。

暫定委員会の会議

 原爆の投下方針を決める会議で、日本語字幕では、「アメリカ市民は戦争に慣れてきたから(東京大空襲や原爆の被害に)抵抗を感じない」という趣旨のセリフがある。
 けれど実際には、「真珠湾や太平洋で日本軍にひどいことをされてきたから、(東京大空襲や原爆の被害に対しても)アメリカ人はやむを得ないと思う(Pearl Harbor and three years of brutal conflict in the Pacific buys a lot of latitude with the American public.)」と言ってる。
 単にアメリカ人が戦争慣れしたから原爆被害を受け入れるだろうというんじゃなくて、日本軍がひどいことをしてきたから日本に原爆被害を与えることをやむを得ないと思うだろうということだと思う。
 もう一つ、「原爆投下すれば戦争終結できる」と話すスティムソンに、日本語字幕では、オッペンハイマーは「道徳的に疑問がある」と話していて何のことか分からない。
 実際には、オッペンハイマーはスティムソンに、「道徳的な優位を保てれば(if we retain moral advantage.)」と言い、そのあとソ連を含む連合国に情報を提供すべきと話す。原爆のずるい使い方をせず(つまり、ちゃんと情報提供をしたうえで使って)道徳的な優位を保てるのであれば原爆投下には意味があると言ってると思う。

トリニティ実験

 トリニティ実験の直前に、日本語字幕では、オッペンハイマーは「誰にも我々を止められない」と言ってるけど、実際には、「我々を止めるものが何かあるだろうか(Is there anything else that might stop us?)」と問いかけてる。そのあと悪天候や爆縮テストの失敗があって、もしかしたら実験が中止されるかもしれない、という展開になっていく。
 実験直前に、日本語字幕では、オッペンハイマーが「失敗するとプルトニウムが砂にばらまかれてしまう」と発言するところがあるけど、実際には、プルトニウムが「ホワイト・サンズ(White Sands)」(トリニティ実験が行われた土地の名前)にばらまかれてしまうと言ってる。
 もう一つ、日本語字幕では、キスティが「失敗に10ドル、成功に給料1か月分を賭ける」と言っているけど、実際は真逆で、「成功に10ドル、失敗に給料1か月分を賭ける(A month of my salary against ten bucks says it lights.)」と言っていて、実際トリニティ実験成功後、キスティはオッペンハイマーに冗談で10ドルくれと言っている。

続きは日本語字幕解説<後編:トリニティ実験後

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