映画『オッペンハイマー』セリフ・場面解説!<日本語字幕版(後編):トリニティ実験後>
セリフが秀逸で難解な『オッペンハイマー』。でもセリフが分かると奥が深い! 日本語字幕で特に分かりにくいと思ったセリフや場面を解説します。当然、ネタバレ満載です。
この記事が扱うのはトリニティ実験後。トリニティ実験までは日本語字幕解説<前編:トリニティ実験まで>を参考にしてください。
※ここで解説していないセリフは日本公開前に書いたセリフ解説<前編:トリニティ実験まで>と<後編:トリニティ実験後>も参考にしてください。
※おおむね映画と同様の並びにしてるので、時系列には沿ってません。
※映画の中のセリフの解説であって、時代考証ではありません。
オッペンハイマーの原爆後演説
日本語字幕では、オッペンハイマーは原爆投下後の演説で、「日本はイヤだったろう」と話す。
直訳すると確かにそうなんだけれど、イヤどころじゃないし、ニュアンスを考えて「日本は大打撃を受けただろう(I bet the Japanese didn't like it.)」くらいに訳してほしかった。
あと細かいけど、日本語字幕で「世界は今日を忘れない」となってるけど、こういう時は「世界はこの日を忘れない(The world will remember this day.)」とするのが普通だと思う。
トルーマン大統領との面会
日本語字幕では、トルーマン大統領がオッペンハイマーに、「ロスアラモスをたたむそうだね。跡地はどうするのか」と聞いている。
実際には、「ロスアラモスを去るそうだね。(オッペンハイマーが去った後のロスアラモスを)どうすべきだろうか(I hear you're leaving Los Alamos. What should we do with it?)」となっている。オッペンハイマーはそのあとトルーマンにロスアラモスを先住民に返すよう進言してるけれど、国家プロジェクトのロスアラモスを勝手に「たためる」わけではない。
ウィリアム・ボーデンの「責任転嫁」
米国議会上院補佐がストローズに「ボーデンはなぜ密告文書を自分で直接AECに送らずFBIに送ったんだ」と聞くと、日本語字幕では、ストローズは「責任転嫁だろう」と答えてるけど、これではよく分からない。
実際には、「自分で手を出して面倒に巻き込まれたくなかったんだろう(Why get caught holding the knife yourself?)」と答えてる。
そのあと、実はストローズが裏で手を引いていたということに気づいた上院補佐がストローズに、日本語字幕では、「あなたはボーデンが責任転嫁したと言っていたが実際に転嫁してたのはあなたじゃないか」と話すところがあるけれど、これもよく分からない。実際には、「自分で手を出したくなくて人にやらせたのはボーデンじゃなくあなたじゃないか(What was it you said about Borden? Why get caught holding the knife yourself? I'm beginning to think that Borden was holding the knife for you.)」と話している。
聴聞会開始の経緯
オッペンハイマーをハメる計画を立てるストローズ、ニコルズ、ボーデン。
日本語字幕では、ストローズはボーデンに、「オッペンハイマーを密告する手紙を書いてFBIに送れ。FBIはその手紙を原子力委員会AECに転送するだろう。そして君(ニコルズ)は演技しろ。告発文書の主のふりをしろ」となっているけれど、誤訳だと思う。
実際には、ボーデンの手紙が転送されてきたら「(AEC事務局長である)君(ニコルズ)は(立場上)対応せざるを得ない。(密告が本当かを調査するための聴聞会を始めるための)告発文書をでっち上げるんだ(You’re forced to act. You write up an indictment.)」と言っている(ストローズはニコルズが「対応せざるを得ない」ことを分かっていてあえて確信犯的にFBIに手紙を送るようボーデンにけしかけている)。
そのあと映画の中では、ニコルズの告発文書をきっかけに聴聞会が始まったことになっている。で、聴聞会の途中でボーデンが自分が出した密告の手紙を読み上げるシーンがある。ニコルズの告発文書は正式な文書だけど、ボーデンのは真偽が不確かなただの密告だったのに、それが聴聞会で読み上げられることで正式な記録に残ってしまうからオッペンハイマーの弁護人が怒っていたんだと思う。
オッペンハイマーの弁護人
日本語字幕では、「ロジャー・ロッブと聴聞会は証拠ファイルを読める」けれど、「(オッペンハイマー)弁護側は違う」とだけ書いてあって、何で弁護人ギャリソンには分厚いファイルが渡されないかが書かれてなかった。
英語では、「ロッブと聴聞会にはセキュリティ・クリアランスが与えられる(からファイルを読める)けど、弁護側にはクリアランスを与えられない(Robb will have security clearance … as will the Gray Board …. Defense counsel will not.)」と説明されている。
あと日本語字幕では、ギャリソンがロッブに「一次資料でないとだめだ」と抗議すると、ロッブが「これは一次だ。面会の録音がある」と答えている場面がある。
正確には、「一次資料」ではなく「直接得た情報(first-hand information)」。ギャリソンが「直接得た情報」じゃないもの(つまり誰かが間接的に伝聞した情報)は証拠とすべきじゃないと抗議したのに対して、ロッブはパッシュとの面会でオッペンハイマー自身が話したことの録音だから「直接得た情報」であって証拠として扱っても問題はないと答えているということ。
つまりロッブは、手元に録音があるからオッペンハイマーが面会で何を話したか元々知っていたのに、あえて聴聞会でオッペンハイマーに面会で何を話したかをもう一回話させた。だから弁護側は、オッペンハイマーが意図せず偽証してしまう(何年も前に面会で話したことと今話すことが違ってしまう)恐れがあると抗議したんだと思う。
聴聞会:キティ
オッペンハイマーがスペイン内戦のためにしていた寄付について、キティがロッブに問い詰められるシーン。
日本語字幕では、ロッブがキティに「共産党にお金が渡っていたか」と聞くと、キティが「共産党"に"ではなく共産党"から"じゃないの」と反論しているけど、"から"だと意味が通じない。
正確には、キティは「共産党"に"ではなく共産党を"通して"じゃないの(Don't you mean "through"? I think you mean "through Communist Party channels".)」と反論してる。オッペンハイマーは共産党と直接関係を持ったことがないんだから、共産党の"つてを経由して"寄付しただけで、共産党"に"お金を渡したわけはない(当然、共産党"から"お金が渡ったわけでもない)ということ。
あと細かいけど、日本語字幕では、オッペンハイマーがスペイン内戦に「貢献してた」と言ってるところがあるけど、ここは「寄付してた(making contributions)」と訳すべきだと思う。
ストローズとオッペンハイマー
日本語字幕では、ストローズは「オッペンハイマーは原爆の魔神を瓶に戻したいと言っている。しかし私は彼を知っている。彼はまた繰り返すだろう。彼は微塵も後悔してない。同じことをするだろう」みたいになってるけど、分かりやすく意訳すれば、「オッペンハイマーは原爆開発をなかったことにしようとしている。しかし私は彼を知っている。彼はすべてやり直せるとしても結局原爆開発をすることになるだろう。彼はヒロシマについて後悔してるとは一度も口にしていない(He talks about putting the nuclear genie back in the bottle- well, I’m here to tell you that I know J. Robert Oppenheimer and if he could do it all over he’d do it all the same. You know he’s never once said he regrets Hiroshima.)」と言ってる。
あと日本語字幕では、ストローズがオッペンハイマーのことを「偽りの罪の意識の王冠をかぶりたかった。ピエロよろしく」みたいに言ってるところがあるけれど、実際には「偽りの罪の意識を王冠のようにかぶりたかっただけだ(He wanted the glorious insincere guilt of the self-important to wear like a fucking crown.)」と言っていて、ピエロ(clown)とは言っていない。
聴聞会:オッペンハイマー
シーンとしてはトリニティ実験の前だけど、日本語字幕で、ロッブがジーンや弟のフランクのことを「有名な共産主義者」と言ってるところがある。けど実際には「当局が把握している共産主義者(known communist)」と言ってる。字幕は「共産主義者」だけでも十分だったと思う。
日本語字幕では、ロッブがオッペンハイマーに、「原爆投下すれば何千人(thousands)もの民間人が犠牲になると分かっていたんでしょう」と問い詰めてるけど、thousandsは文脈次第で「何千」から「何十万」まで意味の幅があり、ここでは「原爆投下すれば何十万もの民間人が犠牲になると分かっていたでしょう」と訳さないと後の話と整合しない。そのあとオッペンハイマーは、それほど被害が大きくなるとは思っていなかったと答えている。
あと日本語字幕では、オッペンハイマーが「原爆投下が戦争を終わらせた」と言ったことになってるけど、実際には、「原爆投下が戦争を終わらせたとも言われている(It's also alleged to have helped end the war.)」と言っていて、原爆投下が戦争終わらせたと断定しているわけじゃない。細かいけど、こういうオッペンハイマーのあいまいさこそがこの映画の描こうとしたことだと思う。
日本語字幕では、オッペンハイマーがロッブに対して「原爆投下への反対は表明した。しかしそこまでだ」と言ってるところがあるけど、実際には、「原爆投下への反対意見を伝えたけれど、私はそういう意見に同調したわけではない(I set forth arguments against dropping it. But I did not endorse them.)」と言っている。オッペンハイマーは原爆投下に反対も賛成もしてない。
ストローズの商務長官承認拒否
日本語字幕では、商務長官承認公聴会の結果を待つストローズに、上院補佐が「及第点です」と話すシーンがあるけど、及第点が何のことかよく分からない。
実際には、承認を得るための票読みをしていて、「(承認に必要な)票はなんとか取れそうです(You'll scrape through.)」と言ってる。
票読みしてるところで、日本語字幕では、ストローズが「採決」に必要な票があるか聞いてるけれど、実際には「承認」に必要な票があるかを聞いてる。
最後のセリフ
最後のセリフが「我々は世界を破壊した」と訳されていたのは、あまりに説明口調で原語のインパクトが失われていて残念だった。
その前のところで、連鎖反応が起きて世界を破壊してしまう懸念があったとオッペンハイマーがアインシュタインに話してるから、最後のセリフは原語通り「やってしまったと思う(I believe we did.)」でも十分通じたし、それくらいの曖昧さがあった方が、観客も「どういうこと?」ってなるし、制作者の意図に近かったんじゃないかと思う。
原爆と核兵器
ところどころ、atomic bombが「原爆」じゃなく「核兵器」と訳されていたり、ただのbombが「原爆」と訳されていて分かりにくくなっていたところがあった。あと、atomic weaponがなぜか危険物と訳されてるところがあったような…。
終わりに
この作品を日本公開してくれたビターズ・エンドさん、難しくてセンシティブな作品を翻訳・監修してくれた方々に感謝します。
この記事は、字幕作成に関わった方々を批判するためじゃなく、なるべく多くの人に作品の理解を深めてほしいと思って作りました。
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