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50年以上前の、幸福の瞬間

私がまだ小学生の高学年の頃の出来事です。出来事というほどのものではなく、まったくの日常生活の一瞬だったのですが、その時がどういうわけか、とても幸せに感じた瞬間でした。

私が生まれた家は、第2種兼業農家(農業収入が副)でした。父は近くの運送会社に勤めており、母や祖母が日常的に米や野菜をつくっていました。

それは秋の夕方のことでした。父が仕事から帰ってきて、稲刈りを終えた田んぼから、刈り取った稲を、一家でリアカーでうちまで運ぶという仕事をすることになっていました。

稲架(はさ、はざ、はせ、はぜ、はで)

リアカーを田んぼの近くに置いて、稲架(ハセ)に干してあった稲束をはずして、リアカーに積み上げる作業を家族4人でしていました。

そこは小さい田んぼだったので、一台のリアカーに全部の稲束を載せられるくらいの収穫量でした。山盛りになった稲束の山にロープをかけて固定し、いよいよ自宅に押して帰ります。

もちろんリアカーを引くのは父。母や私や妹は後ろから押します。夕闇があたりに降りてきて、山の稜線はだんだん見えなくなってきました。点在する家々から灯りが、ぽつんポツンと見えていました。

稲を山盛り積んだリアカーを家族4人で押して帰るだけの、ほんの10分ほどの時間だったのですが、その時に無性に幸福を感じたのです。家族で何を話したかも覚えていないのですが、半世紀以上も経ったのにその幸福な瞬間をずっと覚えているのです。

なぜそんな何気ない日常の瞬間に、一生忘れないほどの幸福感を感じているのか、よく分からないのですが、家族で1つの仕事をしているという実感が私にそう思わせたのかもしれません。

それは、祖母が亡くなった年だったかもしれません。その年の2月までは、祖母、両親と妹の5人家族だったのが、半年が過ぎてやっと4人家族の生活に慣れてきた頃だったかもしれません。

この家族4人でこれからは生きていくんだと、実感したのかもしれません。生きるために必要な米を家族で力を合わせて運んでいるということが、本能的に私に幸福を感じさせたのかもしれません。

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