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ロンドンのディケンズの家を訪ねて 英国滞在9日目
英国を代表する作家 チャールズ・ディケンズ(1812 - 1870)が、1837〜39年に住んだ家を訪ねました。チャールズ・ディケンズ博物館(Charles Dickens Museum)として公開されています。博物館の公式H Pはこちらです。↓
英国滞在9日目は、エディンバラからロンドンに英国航空で移動して、午後は、チャールズ・ディケンズ博物館を訪ねました。
1 エディンバラからロンドンへ飛行機で移動
英国滞在9日目は、エディンバラに別れを告げて、ロンドンに向かいます。
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塔は、カールトンヒルのネルソン記念塔
カールトン・ヒルに張り付くように建っているのが、
スコットランド政府本部(St. Andrew’s House)
列車でロンドン・キングスクロスまで、早くて4時間半ですが、今回は英国の国内線に初めて乗ってみようということで、飛行機を選択しました。
エディンバラ空港までのバスは、Airlink 100とBright Busという2社が運行していて、Airlinkは片道£5.50、Bright Bus は£4.50でした。当然、Bright Bus にしました。
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エディンバラ空港はこぢんまりした空港ですが、出発の場合は、国内線・国際線とかなりの本数が運行されていますので、早めに到着しておくことをオススメします。
London City Airportまでの国内線とはいえ、2時間前に空港に到着していたのですが、チェックインに大行列でセキュリティチェックも厳しいこともあり、けっこう時間が取られました。早めの到着をオススメします。
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エディンバラ空港を飛び立つと、すぐに飛行機の窓から、前日に行ったフォース橋が見ることができました。残念ながら通路席だったので写真を撮るのはやめました。
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2 ロンドンのチャールズ・ディケンズ博物館を訪ねて
ロンドンで、ディケンズが住んだ家で現存するのは、この博物館のみです。ロンドン地下鉄のRussell Square駅か、Chancery Lane駅から徒歩10分ぐらいのところにあります。
私は、地下鉄Central LineのChancery Lane駅から博物館に向かいます。
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地上に出ると、チューダー様式の建物が目に入りました。ステイプル・イン(Staple Inn)と呼ばれ、1585年に建てられたものです。日本で言うと安土桃山時代の建物が、今でも現役で使われているわけです。
最初は羊毛の倉庫・検査場として使われたのですが、その後、法曹院(Inns of Court)として長年使用されたようです。法曹院とは法廷弁護士と裁判官の団体のことです。
第2次世界大戦中のナチスの空爆で、大きな被害を受けたのですが修復されて、現在の姿になっています。今は店舗やレストランが入っています。
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ステイプル・イン前の歩道には、ドラゴン境界標(Draggon Boundary Marks)がありました。昔、教区や区境を示す道標だったもので、歩道には黄色い印が付いています。ロンドンには14体のドラゴン境界標があります。スマホ歩きしていると、ぶつかります。
歩いて10分ほどで、チャールズ・ディケンズ博物館に着きました。赤い扉が目印です。
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博物館前の歩道で工事が行われていたので、表示板がなければ通り過ぎてしまいそうなくらい、ごく普通の住宅でした。
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料金は、大人£12.50 、シニア£10.50でした。音声ガイドのQRコードをもらい、自分のスマホでアクセスして説明を聞く方式です。見学者は2、3人でした。一人の方が熱心にスタッフに質問をしていました。
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ディケンズがこの家に住んだのは、1837〜39年と3年弱ですが、出世作・代表作の「オリバー・ツイスト」や「ニコラス・ニクルビー」をここで執筆しています。
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ディケンズは、イギリス南部のポーツマスのランドポートの生まれですが、貧困の子ども時代を過ごし、靴すみ工場で働き始めて速記者を経て、新聞の報道記者となりました。
20代前半で文学作品のようなものを発表し始め、小説家ボズ(Boz)と言うペンネームで一般に知られるようになっていました。彼の最初の小説、「ピックウィック・ペイパーズ(the PickWick Papers)」が大成功を収めて新進気鋭の小説家となって、1836年4月、キャザリン・ホガースと結婚しました。
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30歳代までは、ひげを伸ばしていませんでした
ディケンズは、1年後の1837年4月に、生まれたばかりの第1子に加えて、自分の弟や妻キャザリンの妹メアリーを伴って、Doughty Street 49番地のこの家に引っ越してきました。ちょうど、ヴィクトリア女王の治世が始まった年です。
今回の旅行で、湖水地方にあるワーズワースの家Dove Cottageを訪れましたが、彼も自分の妹や妻のメアリーの妹セーラとも一緒に住んでいた時期がありました。当時としては、これが当たり前だったのでしょう。
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オークションに出品されたものを78万ポンド(1億5600万円)で購入したそうです
不幸なことがディケンズを襲います。引っ越したばかりの6月に、妻キャザリンの妹メアリー・ホガースが17歳という若さで亡くなってしまいます。ディケンズは彼女のことを大変気にっていたようで、ショックを受けて小説の連載を一時中断したほどでした。
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日当たりも良く、ロンドンの中上流階級の家でしょう
ディケンズは、子どもを全部で10人もうけたのですが、この家で第2子と3子が生まれています。執筆では、「ピクウィック・クラブ」(The Pickwick Papers)、「オリバー・ツイスト」(Oliver Twist)、「ニコラス・ニクルビー」(Nicholas Nickleby)などを発表して、家庭も充実し、小説家としての名声が確立した時期でした。
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地上4階建て(地下室を含めると5階建)なので小さな部屋もけっこうあって、夫婦の他に弟や妹や、子どもがいても狭いとは感じませんでした。
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2nd Floorにある“Mary Hogarth“は、妻の妹
彼女は、ディケンズの腕の中で亡くなったと言われています
義理の妹メアリーの部屋は、夫婦のベッドルームの隣にあります。彼女のベッドには、彼女の着た服が広げてありました。
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ディケンズは当時の男性としては珍しく、清潔さをとても気にしていた人だったようで、この家に住んでいるときに、排水溝の悪臭について家主に修理の依頼の手紙を書いています。
当時のロンドンは、不十分ながら水道設備はあったようですが、トイレについては部屋の隅に汚物入れを置いて、それを地階のタンクに貯めて、それを専門の業者が集めるという方式だったそうです。
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ディケンズの10人の子どものうち、幼くして亡くなったのは、一人だけで後の方々は、成人になっています。これは、おそらくディケンズ夫妻が、清潔さを重視した生活を送っていたおかげだと思います。当時は、細菌やウィルスの感染が子どもたちの命取りになる時代でした。
この家には、庭があります。花が咲いている植物や様々な植栽があり、気持ちがいい空間です。カフェのテーブルも並んでいて、紅茶とケーキでひと休みできます。
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ティールームのメニューはこちらです。値段は標準的なものでした。
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ディケンズの博物館を出て、帰りは地下鉄Rassell Square駅から乗ることにします。途中に、ラッセル・スクエアという公園があるので寄ってみましょう。この周辺は旅行者用のB&Bが密集しているところでもあります。若い頃の旅行では、何回かお世話になりました。
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この公園の片隅に、松ぼっくりなどが入っている、こんなものがありました。
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Imperial London Hotelsという団体が支援しているもので、生物多様性を推進するために、虫たちの受粉や食料確保や隠れ家を確保するための、「虫のホテル」だそうです。このような小さな取り組みの積み重ねが大切なのですね。
ホテルまでは歩いて行きました。途中にパブが数軒ありましたが、どこも勤めが終わったパプの客が店の外であふれていて、立ったまま話に夢中でした。
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日本で「立ち飲み」というと、あまり印象が良くないですが、ロンドンでは、仕事帰りに軽くパブでビールを飲んで、家路につくというのがルーティーンなのでしょうか。
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今、9月中旬ですが、ロンドンも7時になってやっと暗くなってきます。
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英国滞在9日目も充実していました。
前日8日目の記事はこちらです。↓