ワーズワースの家“Dove Cottage“を訪ねて
英国滞在の5日目は、午前中にコウネス(Cowness)のピーターラビットのアトラクション博物館を訪れました。その記事はこちらです。
午後は、滞在しているロー・ウッド・ベイ(Low Wood Bay Resort & Spa)というホテルに戻って一休みして、グラスミアにあるワーズワースの家「Dove Cottage」を訪れました。ワーズワース(1770〜1850)は、最近はワーズワスと表記することもありますが、これまで一般に使われている習慣に従ってこの記事ではワーズワースと書きます。
Dove Cottage (鳩の小屋)へのアクセスは、ロー・ウッド・ベイホテルからバス1本で行くことができます。ロンドンから向かう場合は、列車でウィンダミア駅に行き、555番か599番のバスで、「Daffodil House for Dove Cottage」というバス停で降ります。バスに揺られながら、ウィンダミア湖やグラスミア湖の湖面と緑の低い山々の景色を楽しむことができます。
このDove Cottageは、1600年初頭にパブ兼宿屋として使われていたそうで、その宿の名前がDove & Olive Bough(鳩とオリーブの枝)だったため、それにちなんで名付けられました。その宿屋は1793年に営業を止めて、ワーズワースと妹ドロシーが1799年に移り住みました。
Dove Cottageでは、ワーズワース博物館と庭・果樹園も見学することができます。入場料は大人£15、シニア£14でした。
まず博物館で、彼の直筆原稿や風景画や実際に使った文房具など見てまわりました。他の見学者は、誰もいなかったのですが、突然日本語が聞こえてきて、それも幼児の日本語だったので、びっくりして振り返ると、イギリスに在住する若いご夫婦とそのお子さんでした。
今回のイギリス旅行では日本人にお目にかかることは、有名な観光地でも少なかったのですが、人里離れたワーズワースの家でご一緒するとはびっくりです。
ワーズワースがDove Cottageに住んだのは1799年12月から1808年5月までの約8年で、80年という彼の生涯の中では、短期間だったのですが、それまで妹ドロシーと暮らしていたのが、幼馴染みのメアリー・ハチンソン(Mary Hutchinson)と結婚して三人の子どもが生まれるという変化に富んだ時期でした。そのためか、記憶されるべき多くの傑作の詩集を生み出したのがDove Cottageでした。
Dove Cottageには、妹ドロシーと妻メアリーの他に、メアリーの妹セーラ(Sara)や彼の友人やメイドのモリー(Molly Fisher)も一緒に住む大所帯だったようです。今ではちょっと考えられないような世帯ですが、当時としてはそれほど不思議ではなかったのでしょう。
Dove Cottageに入ると、まず薄暗いというのが第一印象です。19世紀初めですから、当然、電気はなく夜はロウソクの明かりだけの生活だったはずです。
私だったら、どんよりとした日や雨模様が多い湖水地方の天候にうんざりしそうですが、だからこそ晴れ渡った時の自然の美しさが際立ち、彼の詩心が魅了されたのでしょう。
ワーズワースが住んでいた頃は、Dove Cottageの窓からは、草原の向こうにグラスミア湖を眺めることができたとのことです。キラキラ輝くグラスミアの湖面を眺めながら、詩を紡ぎ出していたのでしょう。
ワーズワースは、湖水地方で生まれ育ちました。大学はケンブリッジで過ごしましたが、その後、度々ドイツやフランスなどを訪れています。しかし一番長く住んだのは湖水地方でした。イギリスの中でも、特に雨や曇りの日が多い湖水地方だからこそ、晴れて陽の光が注いでいる湖と周囲の山々の風景は、詩人の心を動かしたことでしょう。
Dove Cottageは、元々宿屋だったこともあり、とにかく小さい部屋がたくさんありました。それでも子どもが3人生まれ、友人が転がり込んできたりして手狭になり、1808年にアラン・バンク(Allan Bank)というかなり大きな屋敷(Dove Cottageより少し北部の湖水地方)に引っ越しています。
ワーズワースと妻のメアリー、妹ドロシー、メアリーの妹、三人の子どもたち、さらに友人たちが加わり、どんな人間関係のドラマがDove Cottageで繰り広げられたか、想像するしかありませんが、ドロシーがグラスミア日記(Grasmere Journal)という形で、日常生活について詳細な記録を残しています。
また、ワーズワースが紡ぎ出す詩を、ドロシーとメアリーが書き留めることも度々ありました。偉大な文学者の影に名アシスタントあり、といったところでしょうか。
庭で野菜や果物を栽培し、湖では魚を釣ってというような、かなり自給自足に近い生活をしていたのでしょう。湖畔や林の中を散歩したり、木の実やベリーを摘んだりしながら、詩作に没頭する。またウォルター・スコット(Sir Walter Scott)ら友人たちが集まって文学談義をしたりといった毎日だったのではないかと思います。
帰りも同じく599番のバスで1時間弱かかって、グラスミア湖畔のDove Cottageから、ウィンダミア湖畔のロー・ウッド・ベイ・ホテルへ帰りました。
たまたま、バスの運転席のすぐ後ろの席に座れて、乗り降りする人たちをしばらく観察していたのですが、ほとんどの乗客は運転手とあいさつを交わし、降りる時にはThank youと言っていました。日本だとあいさつをする乗客はどのくらいいるでしょうか、1〜2割といったところでしょう。
また、料金を何で支払うかも見ていたのですが、9割以上の人が、スマホを使ったコンタクトレス(日本でいうタッチ決済、V*saでタッチのCM)で払っていました。約1時間の中で、現金で支払った人が一人、クレジットカードを使った人が2・3人でした。