本来の自分って、どんな自分?
「気持ちのいい一刀両断っぷりだね!」
久しぶりに会って話をした友人に、ニッコリしながら言われました。
ビシッバシッと躊躇もせずに核心に斬り込んで、言葉を放つ私に対して。
そして続けて、
「その在り方が素晴らしい」
ですって。
そうそう、これが『私』。
かつては、この『私』が顔を出そうとするたび、こんな自分ではダメ、消さなくちゃ、消すことが出来ないならせめて全力で隠さなくちゃ、と躍起になっていたっけ。
そして、もっともらしい自分磨きや自己啓発に励んでいたな。
全然、見当違いだった。
こんな稀有な才能、活かさなくてどうするの。
もちろん、相手構わず所構わず刀をブンブン振り回して、人を傷付けていいってことじゃない。
そういえば、学生時代にはそんな『私』の言動を
「日本刀の切れ味」
って呼んでくれた人がいたな。
まぁ、能力の使い方は良くなかったのでしょう。
様々なマインドにガッツリ縛り付けられた当時の状態では、出てくる言葉にいろんなモノが乗っかってしまっていたと思う。
しかも、隠そうとすればするほど、そしてここぞ!というときほど、そんな『私』が無意識にドーンと出てきてしまうもの。
一生懸命密閉した缶の中身が膨張して、ついに缶が耐え切れなくなって破裂する、みたいな現象。
その破裂はコントロール不能で、出てきた瞬間はその威力に本人すらビックリすることもしばしば。
そして、あぁまた周りをドン引きさせてしまったと思い、自己嫌悪に陥り、さらに厳重に抑え込まなくちゃと次の手を考える。
そんなループが、半永久的に。
…これが、根本的に間違った発想だと気付くのに、ずいぶん時間が掛かったものです。
この『私』を封じてしまったら、それは『私』だけでなく世の中のあるべき姿を捻じ曲げてしまうのでした。
なぜなら、『私』がそうあることによって、世界のバランスが保たれることになっているから。
バランス的にそういうことになっているのだから、そんな『私』が違う私になることも、実は不可能。
だから、無限ループになる。
世の中のために貢献したいと本当に思っているなら、
なおさら抵抗することなく自分自身を深く知り、その使い方を修練していくのが正解。
自分の周囲にいる(と思い込んでいる)、いわゆる普通(という良く分からないカテゴリー)の人と同じ言動、態度で居ようとするのは、AIのロボットにでも任せておきましょう。
人間は、そういう存在ではない。
ただ、本来の自分を知りに行くときに“抵抗することなく”というのが難しいんですよね…!
人間って、本当にいろんなブロックを創り出す天才だなって思います。
本来の自分が、今自分が見えている範囲からはまるっきり外れたところに居て、
そろそろ気付いてくれないかなぁってこっちを眺めている感じかもしれないって想像してみて。
これまで思いもよらなかったところに潜って行って、そんな本来の自分と目が合ったら…?
💛💛💛
自分を深く掘り下げていくのは、確かに怖さを感じるものだけれど、とっても愉快なことでもあるのですよ!
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#今回はKADOKAWAさんから出版されるのか・・・!